平成25年度第2回志塾「台湾研修旅行」 | 再生日本21


平成25年度第2回志塾「台湾研修旅行」

5/31~6/3、台湾研修旅行を行ないました。
目的は今研修の課題図書『台湾人と日本精神』(小学館文庫)に
蔡焜燦(さい こんさん)先生も書かれていた
台湾にある「日本がいまこそ学ぶべき“正しい日本史”」を学ぶためです。

高砂義勇隊慰霊、蔡先生にお越しいただいての夕食会、激戦の地・金門島訪問など
通常のお楽しみツアーでは体験できない内容ばかりでしたが、
中でも個人的には
烏山頭ダム・嘉南大しゅう(「しゅう」の字は土偏に川))に人生を捧げた
八田與一とその奥様が大変印象深かったです。
不毛の地を豊かな大地に変えた一大水利事業。
機内で隣り合わせた若い台湾人の女の子に聞いてみたら、
功績も含めて八田與一のことを知っていました。
大半の日本人は八田與一を知らないのではないでしょうか。
多くの日本人に、こういった知るべき、学ぶべき日本史を伝えたいと
強く思いました。

※.事前課題図書
『台湾人と日本精神』(蔡焜燦・小学館文庫)
『この命、義に捧ぐ――台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(門田隆将・集英社)

(稻田雅彦)

地元の方が守ってくださっている八田與一のお墓と像


八田與一の功績を讃える八田技師記念室

参加者感想(一部のみ抜粋)

1.根本中将と金門島
Wmodeで、根本陸軍中将の話を知った。
台湾と大陸の二つの中国政府がある。
中国では戦後国民党軍と共産党軍の内戦が激しく行なわれた。
蒋介石率いる国民党軍は、中共軍に連戦連敗、ついに福建省の金門島まで追い詰められた。
金門島を失えば、国民党政府の現在の台湾もありえなかったという
極めて危機迫る状況であった。
これを救ったのが、軍事顧問として作戦指導した根本陸軍中将その人であった。
根本中将は、終戦後中国大陸の北京付近の総司令官で、
在留邦人を日本に帰国させるために、
ポツダム宣言受諾後も責任を一身に背負って武装解除せず
攻めてくるソ連軍と戦って、
邦人と率いる将兵を無事に本土に引き上げさせたという経歴を持つ人物である。
大陸に展開していた軍人たちには良くないイメージを持っていた私にとって、
根本中将の物語は驚きであった。
根本中将の活躍した金門島をわが目で見てみたいと思ったのが、
この研修旅行参加のきっかけであった。

2.『台湾人と日本精神』著者・蔡焜燦先生
今回の台湾研修で、私は何と言っても蔡焜燦先生とお食事ができたことが印象に残っている。
日本人・日本の国の良さを私に教えて下さったのは、蔡先生だからだ。
研修旅行に行く前、志塾のYさんが蔡焜燦先生の本『台湾人と日本精神』を読んで、
大変感動されたというお話を伺った。
私も読んでみた。すばらしい内容だった。
台湾の人々は、日本人に統治された50年間があるからこそ、現在の発展と繁栄がある。
先生は日本に統治されていた50年間がいかに幸せな時代だったかということを
幾度も繰り返して述べていた。
87歳という高齢であるが、ユーモアを交えるお話の中に、
生粋の台湾人の高潔さが伝わってきた。
『台湾人と日本精神』の名文を書かれた先生の表情を拝見できて嬉しさを感じた。

蔡先生を囲んで①

3.現代の様子と研修のまとめ
古き人たちは、今でも日本統治の昔を懐かしんでいるように思われた。
日本に親しみを感じている国は、台湾であることをこの旅で深く感じた。
台湾と日本の交流は大事にする必要があると、
思いを強くしたのは私だけではないだろう。
3泊4日の旅は、内容豊富だった。
添乗員の片木さん、ガイドの曹さんの細やかなる説明はすばらしかった。
ご当地のお食事はすべて美味しかった。
参加者の皆さんと、俳句や和歌を作って吟行したことも良い思い出となった。
ご一緒してくださった皆さんに感謝の気持ちがこみ上げてくる。
台湾は、よき隣人であり、比較的楽に行ける国である。
いつの日か再び訪れて各地を回ってみたいと思う。

(小山嘉治)
 

日本人として知っておくべきこと

台湾には初めて訪れました。
持っていたイメージとしては南国の暑い国、台湾バナナ、中国との独立問題くらいしか知りませんでした。
事前学習で親日国である事は分かりました。隣の韓国、中国は反日であるのに、
台湾も蒋介石時代には反日教育が徹底されたにもかかわらず9割が親日派です。
何故違うのかとても疑問に思いました。
理由として初めての植民地として日本が力を入れて優秀な人材を送り込み、インフラの整備に尽力して、
就学率を上げて台湾発展の礎を築いた事。
そして親日的な祖父母、父母の存在が背景にあるようです。

台北郊外にある鳥来郷には、タイヤル族の方が大東亜戦争で日本兵として戦いその慰霊碑が祀られています。
李登輝元総統の揮毫で「霊安故郷」と書かれています。
両脇には日本と中華民国の国旗が掲げてあり、隣には君が代の石碑もありました。
ここは本当に外国なのかとびっくりしました。
戦争が起きた事は悲しい事ですが、かつて台湾人の方が日本人として戦い尊い命を落とされた事。
また快く思わない人達の妨害により現地の方が大変な思いをされて慰霊碑を守って下さっている事。
この事実は日本人として知っておくべきだと思いました。

タイヤル族のマカイさん

蔡焜燦先生との夕食会の中で、橋下発言でも取り上げられた従軍慰安婦の話が出ました。
蔡先生が台湾の慰安婦だった方に軍による強制があったのかどうか直接聞いたところ、
「強制では無かった」とはっきり言っていたそうです。
悲しい話ですが、貧しい時代に食べていく手段がなく、
口減らしとして身を売らざるを得なかったのが真相のようです。
この問題をはっきりさせないと自分の国に誇りが持てません。歴史学者を交えた検証作業が不可欠です。

「犬が去って豚が来たる」。大陸から来た中国国民党は二・二八事件で台湾人を3万人近く大虐殺して、
多くの知識人や指導者層が命を落とし、日本統治時代の方が良かったと言われたそうです。
かつて蒋介石時代から40年間戒厳令が敷かれていた台湾では、
集まって政府の悪口を言おうものなら5分で連れていかれてしまう時代があったとのこと。
蔡先生のお話から台湾人に自由と人権をもたらした李登輝元総統の業績の大きさを改めて感じました。

1947年の二・二八事件では多くの台湾人が大陸から来た中国人に殺戮された

八田與一は作物の育たない不毛の地を、鳥頭山ダムと灌漑事業によって台湾最大規模の耕作地に変えた
台湾で最も有名な日本人の一人です。
恥ずかしながら私は、今回の研修まで八田與一の事を知りませんでした。
馬英九総統も八田與一の記念式典では私は友日派と言わしめた程です。
命日には毎年慰霊祭を行なうなど、台湾の人々は八田への感謝の気持ちを忘れていません。

私は植民地を肯定しません。しかし歴史を直視すると、少なくとも台湾で行われていた統治は、
欧米列強の行なっていた奪い取るだけの植民地統治とは一線を画すものであると思います。
自虐史観に陥るのではなく、良い部分をテコにして今後の日台関係を発展していければと思います。

金門島は目の前が中国大陸でありながら台湾領であり、
この場所を国民党が死守する為に根本博中将が活躍した事は、ほとんど知られていない事実です。
この島の名産品は中共軍が打ち込んだ97万発の砲弾から作られた包丁です。
この事からも戦闘の激しさを物語っています。
そして大陸との緊張が融和しているとはいえ、いまだ停戦状態の戦時下にある事を忘れてはなりません。
警備に就いている兵隊や数多くの戦績を見学して、
目の前の脅威から独立を守る事の難しさ・大変さを肌で感じました。

最後に、台湾人は同じアジアで日本人に近い民族だと思います。マナーの良さや親切さや勤勉さ。
そして何より、中国みたいにクラクションの鳴りっぱなしではない静かな道路も好感がもてます。
台湾は台湾人のものです。
歴史や文化を見てもひとつの中国として同列に論じるのは無理があるのではないでしょうか。
日本人は近くに大切な国があるのに気づいていないのかもしれません。
観光だけでなく歴史も学べた今回の研修は大変有意義でした。関係者の皆様に感謝いたします。
 
(下地 武)

 

蟻のような一歩でも、正しい日本史を学んで伝えなければ

私は台湾には今回で三回目なのですが、今までは観光が主だったので、
今回の研修旅行で、今まで台湾の事や日本と台湾の関係を知らなかったと実感しました。
今回の研修旅行は、台北から台南、金門島とかなりハードな日程だったのに、
志のある方ばかりのせいか、皆様元気で感心しました。

何処に行っても、考えさせられる事ばかりでしたが、
最初の日に蔡先生が、ご高齢にもかかわらず、大東亜戦争以前の日本の事を熱くお話され、
日本の歌を高らかに歌われるのを拝見して、私たちも日本人として頑張らねばと思いました。

高砂義勇隊の鎮魂碑の前で、「君が代」を歌ったことは忘れられません。
慰霊碑の前で「君が代」を歌うことになるとは、旅行の前に夢にも思わなかったです。
日本に帰って、この話をすると「ちゃんと歌えた?」と聞かれました。
本当に何年かぶりの国歌斉唱でした。おかしな話ですね。
日本のために犠牲になられた方々に感謝の気持ちで一杯になりました。
感謝の気持ちとともに、
「私たち日本人よ。しっかりしなければ、台湾の方々ががっかりする」と思いました。

高砂義勇隊慰霊碑(右から3番目がタイヤル族のマカイさん)

烏山頭ダムでの八田技師の偉業も誇らしく思いました。
私は、地域の英会話同好会に参加してまして、
英語で台湾研修の事、特に八田技師の事を拙い英語で話しました。
12人中2人が、八田技師の事を知ってまして、教科書に載っているのも、知っておられました。
一人は、興味を持たれたようで、蔡先生の『台湾人と日本精神』を読みたいと持って帰られました。

会社で、研修旅行の話を少しずつしていますが、
30代の同僚が、日本が台湾を統治していたことすら知らないと言うので、驚きました。
ますます、正しい日本史を学んで、伝えなければと思いました。
子供に話したら、「日本人って悪い事ばかりしてたわけではないのやな」と言っていました。
蟻のような、一歩ですが、根気よく話していきたと思います。

日本統治時代の総督・明石元二郎は、台湾人が日本人と同等の教育が受けられる台湾教育令を発布した

句会でも、他の方の話を伺っていろいろ考えさせて貰いました。
この研修旅行で、日本人として誇りを持ち、責任ある行動をしなければと決心しました。
実り多い研修旅行になりました。貴重な体験をありがとうございました。

(吉原齢子)

 
知らないことは罪なこと

「知らないことは罪なこと」。
今回の台湾研修でつくづく思わされたことです。
この研修に参加しなかったら、
八田與一のことも根本博のことも、そして高砂義勇隊のことも知らなかったでしょう。
日本と台湾、日本人についても改めて考えることもなかったと思います。
解決の糸口は、すべて「事実を知ること」から始まる。
これを機に「本当のこと」を学び、微力でも平和のために尽せる人間になれたらと思います。

(玉那覇春江)

蔡先生を囲んで②(女性3人組、左から吉原さん・関口さん・玉那覇さん)

ワクワクする内容。期待以上の充実ぶり

ほぼ10年ぶりの台湾。
前回は、職場の同僚と台北中心の観光旅行でしたが、
今回は蔡先生との夕食会や八田紀念館訪問などワクワクする内容で、
行く前から楽しみにしておりました。
そして、5/31~6/2の研修は期待以上の充実ぶりでした。
参加者は、気持ちが若い方ばかりでしたし、現地ガイドの曹さんの博識には驚嘆しきり。

私は、仕事の都合で、残念ながら金門島へは行けず、1日早く帰国したのですが、
6月2日は、台湾の南投県あたりでM6クラスの地震があり、ちょうど台湾新幹線で台北に着いた頃のことでした。
予定では、1時間遅い新幹線に乗るはずだったのですが、
日本人ツアーガイドの片木さんからの「1時間早いがその分台北でゆっくりしたらどうか」との勧めに従ったのが正解でした。
そうでなかったら、その日帰国できなかったかもしれない。片木さん、ありがとうございます。
もっとも、地震があったことを知ったのは、3日、日本で新聞を読んだ時ですが。

台湾、いいなあーと思います。食事もおいしかったし、ほっとできる国です。
最後になりましたが、企画してくださった再生日本21さんに感謝します。
次回は、金門島へ行くぞ!

(高見裕二)
 

台湾は日本にとって地政学的にも極めて重要

今回の視察を通じて、日本人として台湾国(あえて)に対応する事を考えさせられた。
大変有意義だった。

研修の最終日、台湾本島から約200km離れた金門島に行った。
軍人が守備していた。
コンクリートの小穴からNIKONの双眼鏡で2000数十メートル先に大陸の人影が見えた。
身が引き締まった。緊張した。

かつて戦後数年たってから、根本中将はここ金門島で、台湾軍と共に中国人民解放軍を撃破。
ここを死守して現在の島がある。

台湾は、日本にとって、地政学的にも極めて重要な位置にある。
石油はじめ様々な資源や製品などを運ぶ海上交通路として重要であることを再確認した。
もし、台湾の平和が乱れると、日本のシーレーンが危機になり、
日本の生命線が寸断されることになる。
日本人にとって台湾と中国の問題は対岸の火事ではないことを確認することになった。

(小林 繁) 

金門島では、望遠鏡の向こうに大陸中国が見えた

「度小月」=つつましく生きる

台湾研修旅行に参加させて頂き誠に有難うございました。
今回のツアーは事前に課題図書があり、加えて訪問した各所での共栄ツアーズの片木さんや
東南旅行社の曹さんの台湾についての豊富な知識を駆使しての説明で、
台湾の歴史や日本との深い繋がりが良くわかりました。

短時日でしたが、蔡先生との夕食会を皮切りに多くの名所・旧跡を訪問することが出来、
実り多い研修旅行でした。
特に、各所に日本統治時代の名残りを見ることが出来たのは本当に嬉しいことでした。

旅行には必ず、新しい発見や出会いがあるものですが、
私は訪問した各所で見た、色々な書体で書かれた
漢字の美しい文字に興味を引かれました。
また、台湾の文字も面白いと思いました。
たとえば「巴士」は「バス」。「電子梯」は「エレベーター」。
「手扶梯」は「エスカレーター」など……。

また、「度小月」と言う言葉も覚えました。
収入が少なくても、つつましく生活をしてその月を乗り切るという意味だそうですが、
学ぶべき言葉だと思います。
私達は豊かな生活に慣れて、この様な言葉と縁遠くなってはいないでしょうか。

思い出多き楽しい旅行でした。
ご一緒させて頂いた皆さん、本当に有難うございました。

(豊田繁美)