志塾第6期 水俣研修 | 再生日本21


志塾第6期 水俣研修

2月18-19日と志塾の研修で熊本県の水俣に行ってきました。

志塾・水俣研修は、ただ水俣病の悲惨さを見に行くだけのものではありません。
現地に行ってこそ分かる複雑な状況、被害者支援活動の中で犯した誤り等々。
現実を我が身に引きつけて学びます。

また、水俣病を巡る諸問題だけでなく、水俣市の山間部の集落で取り組んでいる「村まるごと生活博物館」も訪ねます。
これは地域の人達自身の手による「あるもの探し」の村興し活動です。

志塾生それぞれの感じ方、受け止め方があります。下記の感想文からそれぞれの人となりの一部を感じていただければと思います。

まずは、どのような日程だったかを6期生段村さんがまとめてくれた一文からお読み下さい。

(稻田雅彦)

水俣湾埋立地での吉永利夫さんのレクチャー

 
水俣研修
  
2月18日から19日にかけまして水俣研修が行われました。

前日の17日に同じ塾生の方と熊本に入りまして、市内を色々観光しました。

明けまして18日に新水俣に入りました。
今回の研修は最初に水俣湾埋立地周辺を見学しました。
その後「情報センター」にて今回の講師であります吉永利夫先生に、水俣病の初期の経緯等につきまして教えていただきました。
次に「水俣病資料館」を見学しました。館内には、水俣病の教訓を後世に残すために作られました多数の写真や資料が展示されていました。
次に吉永理巳子先生の自宅に行きまして、水俣病について先生の経験された事を聞かせていただきました。
1日目の最後は「水俣病歴史考証館」に行き、現地の方に展示品等につきまして説明していただきました。

2月19日、2日目は、朝から雪がふっていました。
2日目は、大川村丸ごと博物館を訪問して、現地の方に色々現地の事について語っていただきました。
その後大川村周辺見学では、かつて線路だったという道を歩きました。途中にはトンネルもありました。
次に水俣駅構内にある「環不知火プランニング」に移動し、講師であります吉永利夫先生より水俣の失敗から学ぶことを語っていただきました。
最後に参加者が作った短歌・俳句を発表して、昼食を食べ、研修が終了いたしました。

ありがとうございました。

(段村和寛)
 

おばちゃんのレシピは「材料・適宜」ばっかり

村丸ごと生活博物館にて

 

問題の深さを実感

志塾で2/18~19にかけて、熊本県の水俣へ行って来ました。

NPO法人「水俣教育旅行プランニング」代表の吉永さんから、
1日目は水俣病資料館や語り部の方のお話し、水俣病歴史考証館等、水俣病に関するさまざまな施設を案内していただき、
2日目は大川村丸ごと博物館を中心に案内していただきました。

現地に行って分かった事は、チッソは確かに問題を起こしたが、今でも雇用を生み出す大企業で、若者の憧れの会社だということです。

水俣病の原因は大量のメチル水銀を含む工場排水を海へ垂れ流ししたチッソだという事が分かってからは、チッソ対被害者という対立がありましたが、
被害者家族の中にもチッソ関係者も多く、事を荒立てたくないという心情から補償認定を申請しない被害者も沢山いらっしゃって、
また、水俣市=水俣病というイメージを無くしたいと思う市民との間で対立も生まれ、
そして、被害者同士の間でも認定、未認定の問題も生じ、賠償金を貰う事による偏見差別もあり、被害者対被害者の対立も生じ、
時間が経てば経つ程、問題は複雑に絡んだそうです。

人口約26,000人の海も山もある自然が素晴らしい場所で、また、人同士の関わりも深かった場所なのに、
大事件をきっかけに人間関係がズタズタに壊れ、それが今でも続いているということを知り、改めて根の深さを知りました。
偏見は、市外からが多いのかなぁと思っていましたが、実際は市内の市民同士の偏見が凄かったということも、現地に足を運ばない限り全く知りませんでした。

また、企業は問題が起こった時に、如何に誠意を持った迅速な対応をするかがとても大事であるかということを改めて考えさせられました。

2日目の大川村丸ごと博物館は、村全体が博物館で、村の10数名のおじいさん、おばあさんが学芸員として、村の素晴らしい所を案内して下さるのです。
きちんと整理された棚田の風景、廃校になった木造の懐かしくてかわいい分校、お墓の大きさがなぜか一緒で名字が村の名前と一緒で『大川』さんばかり。
ここでは時が止まっているかの様な感覚で、久しぶりに童心に戻れました。訪れた方は、よく『ブータン』に似てそうと言われるそうです。

どうして、『大川』という姓が多いのかと尋ねると、細川の殿様の家来か農民(身分は忘れてしまいました。すみません)が、
ある事で手柄をたてた際に、殿様から何がいいかと尋ねられ、その人は、ぜひ『大川』という姓を下さいと言ったそうです。
殿様はどうして『細川』ではないのかと少々御立腹しながら尋ねると、その人は、『大きな川の心を持って殿様を御守りしたい』と言ったらしく、
その気持ちに殿様も大変お喜びになって、それじゃよかろうということで『大川』になったという経緯があるそうです。
また、お墓の大きさを一律にしたのは、あの世では平等に暮らしたいという思いからだそうです。お話しを伺ってなんか素敵だなぁと思いました。

はじめは、自分達の住む所は何もないと思われていたそうですが、
ある物探しを初めていく内に、何気ない物や風習が実はとても貴重だったり面白かったりで、
今では、国内はもちろん、海外からも沢山の方が来られるそうです。
『あるもの探し』というキーワードが、現代を生きる上で、
個人においても社会、国においても、改めて見つめ直す時期で、
とても大切なメッセージなのではないかと、改めて思いました。

吉永さん、奥様、2日間に渡り大変お世話になりました。
九州人(出身は佐賀です)でありながら、水俣病の事をよく知らない自分を大変恥ずかしく思いました。
これをきっかけにもっと勉強して、少しでも理解出来るようになりたいと思います。

どうもありがとうございました。

(横井恭子)
 

あまりにも深く複雑な実情(左:吉原さん、右:横井さん)

水俣病歴史考証館にて

 

水俣病以外にも学ぶことの多い研修

水俣病の事は、知っているつもりでしたが、現地に伺って、支援者の方、語り部の方のお話を聞いて、考証舘を見学すると、
自分自身が水俣病の事を何も知らなかったんだと思いました。

チッソに勤めている方が多い町で、水俣病の認定を申請するのを躊躇う気持ちもわかる気がしました。

水俣病の原因がわかってからも汚染水を海に排水していたので、被害者が増えたとの事、患者さんや御家族の気持ちを思うとやり切れない気持ちになります。
稻田事務局長がにわかに作った短歌「もっと早く誤り認められたという 我省みても難しきかな」に同感しました。
会社の両隣の人に参加者が作った24首の俳句、短歌、川柳を見せたら、「これを読むだけで、皆が何を見て、何を学んだかわかる」と言われて、妙に感心しました。

大川村の村まるごと博物館で、代表の方が、「村人の1割の方しか参加されていないし、40代の若い層にどう引き継ぐか」と言われていました。
私たちから見れば、素晴らしいアイディアにどうしてもっと沢山の村人が参加しないのかと思ってしまいますが、やはり早くから気づいた者から始めるしかないなと感じました。
私は、つい焦る性格で直ぐに成果を思うのですが、
日髙塾頭から、自分がまず楽しむことが大事と言われた事が、村まるごと博物館で話しを伺っていた時に理解できました。
気長にやるしかないと納得できました。

今回も学ぶことの多い研修でした。有難うございました。

(吉原齢子)
 

後ろはすべてチッソの製品(講師:吉永利夫さん)

私たちのくらしはチッソの技術や製品に囲まれている

 

人間の知恵??って??と考えさせられる研修

2月18-19日と水俣研修に参加させて頂き大変多くの事を学ばせて頂きました。
まず、いつも感じる事ですが実際に現地に行って見る事、人の話を聞く事の大切さを改めて実感しました。
私が考えていた水俣の問題と現地で実感したことは全く違うものでした。
単に企業と地元住民(特に被害に遭われた方々)との戦い?!としか考えてませんでしたが、
地域経済を支える企業とそこに暮らす住民、そして利権や政治が主導していること等々とても複雑でした。

研修に参加した私はどう取り組んで行けばいいのか?後世にどう伝えていくのか?考えさせられた2日間でした。
私が企業人として出来る事は問題が起こった時、誠意を持って迅速に対応、処置すること。
そして利益があっても利権やしがらみにとらわれず、
出来る限り自然を守り、後世に恥ずかしくない生き方をして行く事と感じました。
そして一人の人間として
自然界の大切さや生かされていることへの喜びを
子供達や孫の代まで伝えて行くような生き方や伝え方をしていきたいです。
私自身もそうですが便利さ快適さを求め、その恩恵を受け、
その結果環境を悪化させ、健康も脅かし・・・人間の知恵??って??と考えさせられる研修でした。

村まるごと博物館を見学させて頂き、
人は一人で生きて行く事が出来ず、自然の恵み、地域の繋がり、人の助け合いがあって生きて行けるということを学ばせて頂きました。
当たり前の事・・・と思われるかもしれませんが、
そこの奥深さを学べるのが志塾だと改めて感じさせて頂きました。

2日間本当にありがとうございました。

(高橋伸英)

 

真剣にメモを取る

語り部の吉永理巳子さん

 
 

印象的だった語り部さんのお話

今回の水俣研修は、放射能の被害を受けている福島の今後の復興のヒントを個人的には期待して臨んだ。
福島の現状を踏まえて水俣で見聞したことはある程度予想通りであった反面、ショックを受けた側面もあった。

一番印象的だったのは語り部の吉永理巳子さんの話だった。
幼少にチッソで働いていた父親を水俣病でなくし、ご自身も軽度の症状を持ちながら、41歳まで誰にも話す事ができなかったという事実に胸が詰まる思いがした。
悪い事をしたわけでもないのに半生もの間、周囲を気にして事実を自分の中に封じ込めておかなければいけない状況はどれだけ辛いことか。
未だに補償金の申請をしない・できない被害者もいる。

当初からのこのような状況下で潜在被害者の把握がまだできていない事実を知った。水俣病問題は続いている。

多くの命を奪う結果を招いたチッソは地元の方々にとってはなくてはならない存在。
それは現在も変わらず、チッソで働くことが今でも高いステータスになっている。
この点は教科書からだけではおそらく理解が難しい部分で、実際に現地へ足を運ばないと感じる事のできない複雑な感情が背景にある。

現状で一番問題なのはこの事件を語り継ぐ人間が少なくなってきていることだ。
第一世代から第二・第三世代へ移りつつある中、やはり周囲の目を気にして隠す人もいるため、水俣病問題を語り継げる人が極端に少なくなっていっているのを感じた。
世代交代によって当時分裂した住民感情が修復することで問題の改善がさらに進む期待も持てる反面、忘れ去られるということは非常に危険だなと感じた。
福島第一原発問題に直面している私達は、水俣病問題も無視することはできないはずだ。
文面ではわからないニュアンスを感じるために、教育の一環として水俣の現地視察へ積極的に行って良いと思う(将来自分の子、孫には水俣に行かせようと思った)。
そうすることで外部の人間としてお手伝いができるとも思う。

(平田誉典)

 

左から横井さん・吉永さん・吉原さん・佐藤さん・段村さん

短歌・俳句人気投票、表彰者の皆さん

  

知っているつもりで知らなかった

水俣では、水俣病にかかった語り部の方の話を聞き、水俣で水俣病にかかった方たちのケアを行っている方からの話を聞きました。
実際に私は水俣病がどのような症状を引き起こす病気なのかということも知らなかったし、小学校の時に学んだイメージを引きずっていて、
水俣病患者は全員水俣病を引き起こしたチッソを訴えたものだと思っていたのですが、違うんですね、
水俣病を引き起こしたチッソは熊本県どころか世界でもシェアを持っている企業でもあったし、水俣の人たちは何らかのチッソとの関わりを持っている人たちも多いので、
そんな中では企業を訴えることに抵抗を覚える人や躊躇してしまう人が多かったことを、初めて知りました。

余談ですが、熊本から帰ってお土産を渡した時に、友人にどこに行ったか尋ねられて熊本の水俣と言ったのですが、
友人は水俣=水俣病に思いつかなかったのはいいんですが、友人は水俣病と他の病気がごっちゃになっているみたいで、
奇形というのが出てきたんです(それは流石に訂正しましたが)。
最初に書いたように私と同じようにどのような症状を引き起こすか知らないんです。したがって、軽度の水俣病があることも知らない。
病気というのは悪いイメージがつき従うものですが、マスメディアもそうですが、学校の教育でも悪いイメージを突き詰めて教えるから、
色々とごっちゃになってそれが更に悪いイメージを引き起こすのだろうと思いました。

(甲斐智明)

美しい小山副塾頭のヌード

夜は露天風呂を満喫