志塾第6期萩・下関研修 | 再生日本21


志塾第6期萩・下関研修

10/22(土)-23(日)、志塾第6期の萩・下関研修を行ないました。

今回の参加者は、6期生5名(吉原・横井・段村・平田・甲斐、2名欠席)に日髙塾頭、小山副塾頭、支援者の高見さんと川田さん、それに稻田でした。
講師の先生は、初日の下関が安冨静夫先生、そして二日目の萩・玉木文之進旧宅内でのご講義が岡田幹彦先生。
また、ただ見聞きするだけでなく、初日の夜には塾生自らレジュメを用いて「私が最も魅かれている吉田松陰先生の言葉」を発表し、二日目早朝には『留魂録』の輪読も行ないました。
下記参加者感想文からもお分かりのとおり、大変充実した研修になりました。
特に松陰全集を読みこまれている岡田先生のご講義は、皆が魂を揺り動かされるものでした。
先生方、参加された皆様に、心より感謝申し上げます。
(稻田雅彦)

魂を揺れ動かされた玉木文之進旧宅内での岡田幹彦先生のご講義

玉木文之進旧宅内での岡田幹彦先生のご講義

 参加者感想

感動の萩・下関研修
特に、玉木文之進旧宅での講義はとても感動しました。
松陰先生は、人の踏むべき道、皇国の尊さ、日本を狙う欧米列強の禍いの三つを死に至るまでひたすら説き続けられ、
例え囚人の身で死のうとも、後世必ず志を継ぐ者が出てくるに違いないという思い一心で、至誠を行動に移されました。
また、杉家の人々の温かい家族思いのお話しを聴き、大変思慮深い人格は、このような家庭環境で育まれたのだということを知りました。
また、日いづる国、日本は、世界に比類のない国家の中心者として天皇をいただく国であること、
天皇はいつの世も国民のことを「大御宝(おおみたから)」としていつくしみ大切に思われ、
毎日祈りの生活を今もしていらっしゃる伝統が125代続いている素晴らしい国であること等、
今の日本人が忘れがちなことを改めて思い知らされました。
また、松陰先生は、天皇が日米修好通商条約締結に反対という勅を下されたにも関わらず、
幕府が天皇に対し違勅して勝手に条約締結してしまった事に大変憤り、嘆かれ、
国を憂いていらっしゃいました。誰よりもこの国を思っていらしたかが分かります。
岡田先生の発せられる言葉一つ一つが、まるで、松陰先生が乗りうつられたかの様な優しいお言葉で、
とても心に響き、涙が溢れ、魂が揺れ動かされました。涙が止まらなかったです。
まるで、タイムスリップして、自分が松下村塾で聴いている門下生の様に錯覚してしまうくらい感動の連続でした。
(横井恭子)

歴史の話で涙が出てくるとは正直思いもよらなかった
中でも衝撃的だったのは最後のイベントだった萩にある松陰の叔父・玉木文之進の旧宅にて行われた岡田幹彦先生の講義。
松陰ゆかりの地で六畳一間に全員座しての講義はさながら松下村塾。
そのためか、岡田先生は序盤から(恐らく)感極まり、何度も目頭を熱くして吉田松陰の神髄を語って下さった。
日本とはどういう国なのか、日本人としてのアイデンティティーを突きつけられたような感覚だった。
何とも言えない感情がこみあげ、途中から涙を抑えるのに必死だった。
先生の涙に誘われてではない。
「日本とは」を滔々と語る松陰の言葉が妙に心をえぐってくるからだ。
歴史の話で涙が出てくるとは正直思いもよらなかった。
そして岡田先生の吉田松陰への強い愛を感じた。
ここまで自分の敬愛する人物を嬉しそうに、しかも涙を浮かべながら他人に力説する人は、宗教信奉者でもそうはいまい、と思った。
と同時に、当時の松下村塾の門下生も岡田先生と同様、もしくはそれ以上の尊敬の念を持って吉田松陰の意思を受け継いだのだなあと、肉薄するものを感じた。
私達は自分の国と歴史を知らなさすぎる。
そう感じた。
考え方、好み、人それぞれだが、日本の起源から語る吉田松陰の言葉は今の日本人には無視できないものと思う。
今の日本に疑問を感じる方には全員、今回の岡田先生の講義を是非聴講して頂きたいと思った。
それだけでも大きな流れが生まれる気がする。
また、今回二日目の朝に留魂録を輪読したが、やはり慣れない文章でも声に出して読むと体に入ってくるのを感じたので、しばらくそれを継続してみることにした。
その晩から講孟箚記(上)を朗読中。
非常に充実した二日間を過ごせた。
同じ時間を過ごした塾生の皆様ならびに企画にご尽力頂いた関係者の方々に感謝いたします。
(平田誉典) 

時間がなく大急ぎで撮ったため、正面に稻田(着物)が来てしまいました(^^;)。右隣りが岡田幹彦先生

松下村塾前にて

              

日本の歴史を誇りに思った
幕末、明治維新について、実際にその地に足を運んで講師の先生方から説明を受けると、感慨深く且つ感動しました。
特に、奇兵隊が決起した功山寺までの萩の昔の佇まいを残した街並、招魂場、吉田松陰先生のお墓など、
どの場所も綺麗に、手入れされてお供え物も新しく感心しました。
この地の方々が、吉田松陰先生、高杉晋作や幕末の志士を誇りに思っておられるのが伝わってきました。
二日目の松陰先生の伯父である玉木文之進旧宅での岡田幹彦先生の「維新の先駆者」の講義は、
松陰先生の考え、生き方がよく伝わり、感動的で、涙が止まりませんでした。
私たちは、戦後教育のせいで日本の歴史を学ぶ機会も少なく、日本を敗戦国として恥じる傾向にありますが、
志塾に参加して松陰先生や明治維新の志士の方々について学ぶにつれ、
日本民族が数百年間に渡る欧米による人種偏見に基づく有色民族への植民地支配を終わらせ、
人類平等の世界を築き上げた事実を学び、誇りに思うようになりました。
現在の社会事象にも関心を持ち、且つ日本の歴史を学ぼうと決心した萩・下関研修でした。
もう一つ得た事は、今回の研修旅行に着物を着て行く事になり、
普段、日本舞踊の稽古では着物を着ていますが、着るのに時間もかかるので、外出する時は着物を敬遠しがちだったのですが、
稻田事務局長に「着物を着て外出するだけでも、日本文化を広める事になる」と言われました。
常日頃、日本の国の為にできる事を思いつかなかったのですが、そんな些細なことでも日本のためになるのかと、目から鱗が落ちる心境でした。
有難うございました。
(吉原齢子)

第二次長州征伐に勝った長州藩が小倉城から奪ってきた大太鼓

先人の勇気と努力に感服
関門海峡で四国連合艦隊との大戦時に使われた時の砲が置かれていた。
その中の一つで砲身が1メートルもない大砲があり、
口径も野球ボールぐらいのサイズしかなく、
こんなの使っても四国連合艦隊に勝てるわけがないのにと思っていたのだが、
後々考えてみるとそうではないなと思うようになった。
置かれていた砲はレプリカだが、
砲身には絵が刻まれていて砲身の長さ的にも実用品ではなく、
装飾品目的で作られていたことが分かる。
実際に四国連合艦隊に参加していた
フランスが記念品として持って帰り展示されていたのを、
毛利代々の鎧と交換で日本に帰ってきたことをかんがみると、
美術品としての価値はとても高いものなのだろう。
そんな砲を持ち出していたということは、
長州はそれだけ必死だったのだろうと思えるようになってきた。
相手は同じ日本人ではなく外国から蒸気船に乗ってきた
当時の人の感覚でいえば未知の敵だった。
未知の敵が相手だったからこそ、実用的な価値がない砲まで持ち出して備えていたのだろう。
今の感覚で当時を見れば、勝てるわけがないのにと言ってしまうのは簡単だが、
戦闘は避けるべきだったと単純に言ってしまえる出来事ではないのは確実だと思う。
先人の勇気と努力に感服する思いがあふれた。
(甲斐智明)

至誠をつらぬき大義に殉じた数多くの志士たち
桜山招魂場碑を案内していただいた時、途中に吉田松陰をはじめ高杉晋作、久坂義助、白石正一郎等たくさんの方の御祭祀神霊がありました。
「近代日本の夜明けは、吉田松陰以下至誠をつらぬき大義に殉じたこれら数多くの志士たちによって開かれた。
明治維新の大業とともに、その功績は長く後世に伝えられなければならない」とありましたが、
それを見た時、改めてすごい人たちだったと思いました。
(段村和寛)

 

やや高いのが松陰先生、右が高杉晋作、左が久坂玄瑞

桜山神社招魂場

思わず引き込まれた渾身のご講義
以前から機会があったら行きたいと思っていた長州を訪れることができ、そこで大変有意義な時間を過ごせました。
安富先生、岡田先生には、10数人のグループの研修なのに同行してくださったことに正直驚かされました。きっと、稲田さんの人柄のお陰なのでしょう。
初日、安富先生には、雨が降ったり止んだりする中、功山寺ほか幕末の下関要衝の地を案内していただきました。
先生から、幕末から明治の下関の繁栄振りを教えてもらい、山陽道の終点で貿易が盛んな港街だったのに、今はちょっと寂しい街と思いました。
二日目の玉木文之進旧宅での岡田先生の講義には思わず引き込まれました。
玉木文之進旧宅という場所、膝詰めでお互いの息遣いがわかる距離間ということもあったのでしょう、岡田先生渾身の講義でした。
聞き手が10数人ではもったいないと思いました。
日髙さん、小山さんお疲れ様でした。塾頭、副塾頭が大きな支えになっているから、塾生は安心して研修に取り組めるのだなと感じました。
そして、志塾6期生の皆さん、5分間の発表では、各人がよく考え、それをどう表現して伝えるか、に苦心した跡がみてとれました。
入塾式の時とは比較にならない位、良い内容でした。
私はといえば、学生時代は吉田松陰先生に傾倒していた筈なのですが、いつの間にやら隅の方に追いやっていました。
この研修を機に、松陰先生の生き様をもう一度学び直し、これからの人生に生かしていこうと考えています。
最後になりましたが、萩・下関研修参加の機会を与えてくださった稻田さんに改めて感謝します。
(高見裕二) 

もし、吉田松陰がいなかったら
吉田松陰をみていると、純粋で、私利私欲は無く、本当に世の為に人の為に国の為に行ったのが伝わってきます。
「至誠」をもって一生貫き通した生涯です。
また、友情が厚く、藩の掟より、友との約束の方を優先させるなんて、なんて人間的なのでしょう。
弟子の久坂玄瑞や高杉晋作はあの世で師匠に怒られないように頑張ろうとしたなんて、とんでもない先生だったにちがいないと思います。
そういう人がいたからこそ、長州藩から明治維新が起きたのではないかと思います。
(川田陽一)

色々な発見があった楽しい旅
志塾の研修があり、下関と萩に行ってきました。
東京を朝7時ころの新幹線のぞみ号に乗ると、お昼頃には、山口県に到着します。
カンチュウハイを一本飲んで、車内で軽く朝ごはんを食べて、
新聞雑誌に目を通して、うたた寝を少しして、あっという間の時間です。
以前は、夜行列車の長旅というイメージでしたが、新幹線の偉大さを改めて感じました。
日本は、国土がそう広くないことを感じました。
初めての下関と萩でしたので、色々な発見があって楽しい旅となりました。
この美しい山口県が、維新の原動力になったと思うと、益々興味がわいてきました。
(副塾頭・小山嘉治)

真ん中が安冨静夫先生

奇兵隊発祥の地で
10月22日~23日と維新ゆかりの下関・萩を志塾で訪れた。
吉田松陰なくして維新なし、高杉晋作なくして維新なし。
だが、もう一人。白石正一郎なくして維新・奇兵隊無し。
下関の豪商でもあった白石正一郎は、高杉と初対面で奇兵隊の結成に合意し、全財産を投げ打つことを決意する。
生涯で400名もの志士を世話したとされる白石正一郎。竜馬も西郷も旧知の関係。その白石が、「この人ならば」と高杉についていくことを決意する。
高杉は「新しい軍隊奇兵隊を、身分の関係なく志で募集する」と白石に告げる。
白石は、尊王攘夷の思想もすでに身につけていたが、高杉の提案する奇兵隊のありように、
これからの日本が「天皇のもとでの四民平等」であるべきと感激した。
松陰の「草莽崛起」の実現でもあるが、攘夷を実行できない徳川幕府に変わる新しい日本像を、奇兵隊という組織を通じてこれほど具体的に示した人物は高杉以外にいない。
今国難のときにあって、どんな日本にしていくのか? 
様々あるが、改めて維新の目標がなんであったのか、国難に対して過去日本はどうしてきたのか?
新しい日本は「自我」をどのように抑制していくのかが問われる。そのためには、日本人の心のよりどころは何か? 
それを歴史に問い直す時が来たようだ。
死生観
「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつまでも生くべし。」
これは高杉晋作が松陰先生に「男の死に方」を問うた時の有名な答えである。これに関しては何も言うことはない。
今回の志塾、下関・萩研修で松陰先生のもう一つの死生観を学んだ。
それは人間の「四時」と言うことだ。すなわち春夏秋冬。普通は幼青壮老と当てはめるのだが、松陰先生はたとえ10歳であっても四時はある。
だから、実のっていないことはない。と断言されている。
留魂録第八章に表されているが、自分の思想が誰かに引き継がれていくのは、作物が年々実っていくのと同じと書かれている。
いまだ、影響を与え続ける松陰先生。維新から150年。「自我」と対極の生き方を示された松陰先生。また、実りの時を迎えようとしている。
(塾頭・日髙三仁)

 

 萩・下関研修スケジュール

日本の歴史を学ぶ今回の研修。できれば日本の伝統文化である着物を着ていこうとも呼びかけました

10/22(土)
13:20 長府・功山寺(高杉晋作決起の地)集合
功山寺・高杉晋作終焉の地・白石正一郎旧宅(奇兵隊発祥の地)・桜山神社(招魂社)見学。解説:安冨静夫先生(下関市史編集委員・梅光学院大学講師)他。
17:20 松田屋ホテル着
講義(日髙志塾塾頭、稻田再生日本21執行役員)と塾生発表
19:10 入浴・夕食・懇親
23:00 就寝

10/23(日)
6:30 起床
吉田松陰『留魂録』輪読・朝食・ホテル内散策
8:40 松田屋ホテル発
9:40 萩市着
 玉木文之進旧宅での講義(岡田幹彦先生)。吉田松陰生誕地・墓地・松陰神社・松下村塾見学。
12:30 昼食(地産地消の旬の店)
13:30 萩市発
14:50 新山口駅着 解散
(新幹線:東京・新大阪方面行き15:06発、博多行き15:28発)