モラルなき経済政策は間違いなく国を崩壊させる | 再生日本21


モラルなき経済政策は間違いなく国を崩壊させる

モラルなき経済政策は間違いなく国を崩壊させる
――命懸けで健全財政を守ろうとした高橋是清

金融緩和はお札を刷ることではない

 (前略)
しかし、金融緩和とか日銀云々と言われても、大半の国民はその意味がよくわからないのではないだろうか。基本的なところから、できるだけわかりやすく解説していこう。
 まず、金融緩和とは何か、である。経済が停滞している時にはどういう政策を打てばよいか。先に安倍首相の発言「やるべき公共事業をやって」を取り上げたが、今その是非は置くとして、経済が停滞して仕事がない時、公共事業をやれば仕事が生まれる。より経済学的に言えば、今は需給ギャップ(経済の供給力と現実の需要との差)が大きく、平成24年11月15日の内閣府の発表でも需要不足額は年換算で15兆円にもなるとのことであるから、公共事業をやって官が需要を作れば需要不足を埋めることができる。こういう政策を財政政策と言う。一方で、「このニュータウンは魅力的なので出店したい。そのためのお金を借りたい」と思っている人がいたとする。これが実現すれば、経済は活性化される。ところが、もし金利が10%もしていたら、とても借りることはできない。そこで、経済が停滞している時には、できるだけ金利を下げてお金の流れを活発にしたい。そのために金利(特に短期金利)を下げるのが、金融緩和政策である。
 しかし、多くの読者の印象としては、「金利は十分に低い」というものではなかろうか。そうなのである。今の日本はいわゆる「ゼロ金利」状態にある。したがって、これ以上、下げようにも下げられない。そこで、金利を下げるのではない形での金融政策が模索される。それが「非伝統的金融政策」と呼ばれるものである。非伝統的とは、従来やったことがないということで、当然やってみるまで効果のほどはわからない。非伝統的金融政策には、「量的緩和」「信用緩和」、それを合わせた「包括緩和」などがある。安倍首相が述べたマイナス金利というのも非伝統的金融政策に該当する。量的緩和とは、文字どおり日銀の調節目標を金利からお金の量に変える方法で、日銀は平成13年3月から平成18年3月までこの政策を行なった。信用緩和とは、日銀が従来買わなかったリスクの高い資産を買って資金供給をする政策であり、日銀は平成22年10月から、この信用緩和に加え量的拡大の側面も持つ包括緩和策を採っている。
 そう聞いても、何を言っているのかよくわからないとおっしゃる方もあるだろう。そこで、まず量的緩和の対象となる「お金の量」から説明していこう。「お金の量」というとお札の量、日本銀行券の量と思う方が多いだろうが、そうではない。ついでに言えば、よく金融緩和のことを指して「日銀が輪転機を回してどんどんお札を刷ること」と表現することがあるが、これも正しくない。お札=日本銀行券は、日銀が日銀券の需要に関する先行きの想定等を元に、国立印刷局に製造を発注する。日銀券の需要とは、例えば年単位で見ると、冬季ボーナスと年末年始の資金手当が重なる12月には日銀券の需要は通常月の2倍程度まで増加し、その翌月には大幅に減って日銀券は日銀に還流する。また、平成14年のペイオフ部分解禁は、銀行に預けておくより引き出して手元に置こうという国民心理を誘発し、日銀券の需要を高めた。日銀はこのような日銀券に対する需要を想定して日銀券の印刷発注をかけるわけで、当たり前の話であるがむやみに印刷発注をしているわけではない。刷り上がった日銀券は日銀本支店の金庫に保管されるが、この段階ではまだ世に出ていない。別の言い方をすれば、まだ発行されていない。日銀券が世の中に出るのは、一般の市中銀行を通じてだ。市中銀行は日銀に当座預金(以下、「日銀当預」)を持っている。この当座預金は、一般の銀行の当座預金と同様に捉えていただいてかまわない。基本的に無利子の決済用口座である。市中の銀行は個人や企業といった顧客への支払いに必要となる日銀券を日銀当預から引き出して、日銀本支店の窓口で受け取る。こうして初めて日銀券は世に出るのであるが、これを指して日本銀行券の発行と言う。ここまでの説明でおわかりのとおり、日銀券は世の中一般の日銀券に対する需要に合わせて発行されるものであって、金融緩和とは「日銀が輪転機を回してお札を刷る」という話ではまったくないのである。ちなみに、平成24年11月30日現在での日銀券発行高は81兆7300億円。我が国は小口決済における現金使用率が高いことや治安の良さ等の理由から、他の先進諸国より対GDP比での銀行券発行高は高い。

量的緩和でかえって銀行貸出は大幅に減った

 では、量的緩和の対象となる「お金の量」とは、何を指すのであろうか。「マネタリーベース(「ベースマネー」「ハイパワードマネー」と呼ぶこともある)」である。マネタリーベースとは、「日銀券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」のことをいう。このうち日銀券発行高については既に述べた。貨幣流通高というのは500円・100円・50円といった硬貨のことで、この二つを合わせて「現金通貨」という。もちろんその大半は日銀券発行高であり、現金通貨の95%を占める。次は日銀当預である。実は平成13年から行なわれた量的緩和のターゲットは、この日銀当預だったのである。
 日銀当預についての説明に入る前に、先に「マネタリーベース」と「マネーサプライ」との関係について述べておこう。簡単に言うと“中央銀行が供給した通貨の総量”がマネタリーベース、“世の中に出回っているお金の総量”がマネーサプライである。つまり、マネーサプライとは、金融機関を除く民間保有の預金と現金の和であり、日銀も含めた金融機関全体から経済に供給される通貨である。こういう教科書的説明では何がポイントかわからないので、ズバリ、わかりやすくポイントを述べよう。マネタリーベースになくてマネーサプライにあるものがある。それこそが、金融緩和政策のポイントである。それは、民間保有の預金である。そして、これを生みだすのは日銀ではない。市中の銀行なのである。市中銀行は預金者から現金で銀行に預けられる預金(「本源的預金」と言う)を元手に貸し出しを行ない、それにより新たな預金(「派生的預金」と言う)を生み出す。それがまた新たな貸し出しにつながるというふうにして経済全体の通貨量を拡大していく。これを信用創造と言う。このように民間で資金需要が生まれ、貸し出しが増え、お金が動くようにならなければ、結局意味はないのである。
 話をマネタリーベースの日銀当預に戻そう。日銀当預の大部分は準備預金と呼ばれるものである。市中銀行は預っている預金の一定比率(準備率)以上の金額を、日銀に預け入れることが義務付けられており、それを準備預金と言う。この準備預金には利子が付かない(ただし法定準備預金額を超えた超過準備に対しては、平成20年11月から0.1%の付利あり)。したがって、市中銀行は儲からない日銀当預にお金が積み上がれば、その分をどこかに貸し付けて稼がなくてはいけなくなる。そこで日銀は、日銀当預に法定準備を大幅に上回る目標金額を設定して、市中銀行が貸し出しを増やさざるを得ないように仕向けたのである(具体的な手段としては、その目標金額に向けて市中の銀行から大量に国債等を買って、その代金を日銀当預に払い込む)。
 さて、結果として量的緩和によって市中銀行の貸し出しは増えたのか。確かにマネタリーベースは大幅に増えた。量的緩和前の平成13年2月のマネタリーベース平均残高は64兆7866億円、日銀当預は4兆2336億円であったのに対し、平成18年2月はそれぞれ111兆4431億円、33兆879億円。読者は特に日銀当預のケタ違いの増え方に驚いたのではないだろうか。では、銀行貸し出しはどうなったか。平成12年12月末の全国銀行貸出金残高は462兆7505億円。量的緩和を続けた5年後の平成17年12月末は406兆8389億円。貸し出しは増えなかったどころか、大幅に減少したのである。その状況を、内閣府経済社会総合研究所の研究官・青木大樹氏は、当時に次のように総括している。
 「日本銀行は、このデフレーションに対し、短期のコールレートを実質ゼロに引き下げ、さらには預金準備残高に照準を置いた量的緩和政策を実行した。しかし、それでも効果はあまり見られず、最近は物価に目標を定めたインフレターゲティング政策など、従来の金融政策の枠組みを超えた対応が強く求められるようになっている。しかし、流動性の罠(筆者注:名目金利がこれ以上下がらない下限に到達してしまい、金融政策の有効性が失われてしまった状態のこと)と呼ばれる状況の中で、追加的な金融緩和の効果は望めないという意見は多い。実際、日本銀行による度重なる量的緩和政策により多額のマネタリーベースを供給しているにもかかわらず、マネーサプライ増加率は上昇していない。将来の増税や社会保障政策の持続可能性、資産価格の下落などに対して人々は大きな不安を抱いているため、貨幣を消費することよりも保有することを選好してしまう。貨幣を市場に流通させるためには、将来のインフレ期待を醸成する金融政策とともに、人々の不安を取り除く政策を補完的に推進していくことが重要である」。
 妥当な総括であろう。将来不安があるので、国民は消費を抑え、お金を借りて投資することも控えているのである。本章冒頭で「このニュータウンは魅力的なので出店したい。そのためのお金を借りたい」と思っている人という例を挙げたが、今はそういう人がいなくなってしまったのだ。ニュータウンは高齢化によりオールドタウンとなり、ゴーストタウン化が懸念されるようになっているのが昨今である。いくら日銀当預を積み上げて銀行に貸し出すように促しても、借りたい人がいないのだから、貸し出しが増えないのは当然である。ことわざにある「馬を水飲み場まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」という状態なのだ。そして、この状態は今もまったく同じである。だから、銀行に預金はどんどん集まるが貸し出しは減っていく。先に述べたように、平成12年12月末時点での全国銀行貸出金残高は462兆円であったのだが、それに対し預金残高の方は475兆円であった。それが平成23年12月末時点になると、預金残高は584兆円と大きく伸びたのに対し、貸出金残高は421兆円。集まる預金の貸出先がないのである。

マイナス金利で貸し出しは増えるか?

 先に日銀当預のうち超過準備には0.1%の金利が付いていると述べた。マイナス金利を説く論者は「これでは、カネは市中に回るはずがない。しきりに金融緩和を言いながら、実はカネを留め置くという欺瞞ぶりがはなはだしい」などと口を極めて攻撃するが、いかがなものだろうか。たかが0.1%の金利がゼロになったら、銀行は貸し出しを増やすようになるのだろうか。そもそも、元々日銀当預は無利子であった。利息が付けられるようになったのは、リーマン・ショック後の平成20年11月からである。これは、金融危機対策とともに前述のように資金運用難に陥った状態が続く銀行経営を支える意味合いから行なった措置であるが、それはともかく、その前後での貸出金残高を見てみよう。日銀当預が無利子だった平成19年12月末の全国銀行貸出金残高は415兆円。0.1%の金利を付けた後の平成20年12月末の貸出金残高は434兆円。むしろ増えているのである。0.1%をゼロやマイナスにしたら銀行の民間への貸し出しが増えるというのは、この事実を見てもあやしいと言うほかない。要は民間で投資をしよう、お金を借りようという資金需要が盛り上がるかどうかなのである。
 また、マイナス金利論者は、2012年7月にマイナス金利を採用したデンマークの例を取り上げ、「9月には貸し出しが4%伸びた」などと述べるのだが、そんな短期間で何がわかるものでもなかろう。「デンマークの中央銀行は、マイナス金利を実施した時に何か起きるのかという小さな実験を手がける初のケースだ」(世界最大級の債券投資会社ピムコの欧州外国為替責任者、トーマス・クレッシン氏)。マイナス金利という実験は、デンマークという小国でまだ始まったばかりなのだ。
 さらに言えば、そもそもなぜデンマークがマイナス金利を導入したのか、その意図をまず確認しておく必要がある。デンマーク国立銀行のバーンスタイン総裁は、マイナス金利採用の理由をこのように明確に述べている。
  「デンマークは30年前からドイツマルクとの為替レートを一定の幅で固定し、1999年からはユーロと固定してきた。欧州政府債務危機の後、クローネ高が進んだため、ECBより政策金利を低く設定していた。2012年7月にECBが(政策金利と同様に為替に影響を与える)預金金利をゼロに下げたため、マイナス金利を初めて導入した。為替レートを固定し、クローネを守るためだ」。
 明確な為替政策である。

為替市場という制空権は米国に握られている

 話は本題から少し外れるが、しばしば「金融緩和によって円安になる。安倍発言だけで円安になった」と言われるが、為替政策の世界はそんな甘いものではない。平成24年(2012年)12月に、スイスの大手金融機関であるUBSやクレディ・スイスがマイナス金利を導入したことが話題になった。UBSやクレディ・スイスは民間金融機関であるので、これは国や中央銀行の政策ではないが、これら民間金融機関がマイナス金利を導入することになった元には、スイスの為替政策がある。スイスは平成23年(2011年)9月から1ユーロ=1.2スイスフランを上限とする無制限為替介入を行なうとともに、ゼロ金利政策を採用している。したがって、民間銀行は運用できないため、マイナス金利という異例の措置を採ることにしたのである。デンマークの「為替レートを固定」。スイスの「1.2スイスフランを上限に無制限介入」。為替政策はこれくらい明確に断固として行なうものなのである。我が国でしばしば言われる口先だけの「断固たる措置」とはまるで次元が違う。
 そもそも前著『日中開戦(下)』でも述べたが、我が国は為替市場という制空権を米国に握られている。だから、主体的な為替政策を採ることなどできないのだ。この点について、今一度簡単に説明しておこう。戦後、高度成長を続けてきた我が国は、1980年代になると経済的には米国に敵対する存在になってきた。そこで米国は、米国にとって障害となる日本経済の問題点の変革を企図するようになった。「日米構造協議」や今に続く「年次改革要望書」「日米経済調和対話」などと呼ばれているものによってそれを実現させているのであるが、これらの英語原文にはいずれも「イニシアティブ」という言葉が用いられていて、米国がイニシアティブを取って日本の変革をしていくというのが現実なのである。決して「協議」や「調和対話」などではない。そして、この米国主導で経済敵国・日本を変革していくメカニズムのルーツが、1984年の「日米円ドル委員会」である。日米円ドル委員会では、為替先物取引における実需原則の撤廃など、「金融自由化」の美名の下で我が国金融制度の大改造が行なわれた。そして、日米円ドル委員会の仕掛け人の一人が、小松製作所と競合するキャタピラー・トラクター社のモーガン会長であった。モーガン会長は、「日本との競争に勝つためには、日本の金融市場を開放させ、アメリカが日本の金利や為替レートに影響を与えて円高になるよう操作できるような構造に変えるべきだ」とホワイトハウスや財務省に陳情していたのだ。今、ドル・円市場はまさにそうなっている。
 金融自由化によって、今ドル・円市場は、とんでもなく膨れ上がった。みずほコーポレート銀行の唐鎌大輔氏によると、投機を含めた東京市場でのドル・円取引は1日平均で約11.5兆円にものぼり、2012年1月~10月までの実需マネー(3.7兆円の円売り)の約3倍にも及んでいる。この膨れ上がった為替市場のマネーは儲かる方向にポジションを取る。力に付くということだ。したがって、市場は日本政府の意向など顧みることはない。注意しているのは米国の国策である。今、多少の円安が進んでいるのは、米国が容認しているからであって、どこかで米国高官がそれを難じる発言をすれば、市場の向きは必ず変わる。「過去40年を振り返り、なかでも実務家の立場で30年余り、為替市場を見続けた立場として抱く『実感』は、為替の大きなトレンドはすべて米国サイドで決まっていたことだった」「米国の本音がドル安にあるとしたら、日本サイドで少々のことをしたくらいで2007年以降の大きなトレンドが変わるとは思えない」(高田創みずほ総合研究所チーフエコノミスト)。「市場は米当局の意向に敬意と警戒を示し続けている」(石田護元伊藤忠ファイナンス会長)。これら為替市場の実務家の人達の目はさすがに鋭い。金融緩和で円安がくるなどというのは、国家の為替政策の厳しさや市場の現実が理解できていないあまりに能天気な言説であると言えよう。
 その点では、安倍政権の経済ブレーンの中で、「官民協調外債ファンド」を提唱している岩田一政日本経済研究センター理事長は、さすがに日銀副総裁も務めたことがあるだけに、為替市場の現実を理解している。曰く「日銀が円資金を供給し、財務省が国際金融市場を安定させるため、欧州安定メカニズム(ESM)が発行する債券など外債を買えば、円高是正が進みやすくなる。国際金融システムの安定という目的で基金を設けるなら、国際的にも理解を得やすいだろう」。国際的な理解が得られなければ、円高是正などできないということがわかっているのである(だからと言って、岩田氏の言うように、国際的理解がたやすく得られるとは思えないが)。逆に言えば、スイスやデンマークのように、自国の決断一つで、自国通貨高を是正する為替政策を採ることはできないということである。それくらい円の為替市場は手に負えないくらい膨れ上がってしまった。米国主導の「金融自由化」の美名によって。
 本来なら、妥当でない水準にある円相場を安定した妥当水準に是正するのが、まず第一であろう(購買力平価では1ドル=106.8円。2011年・OECD発表)。後述するが、大恐慌時に蔵相の座に就いた高橋是清が最初に行なったのも、妥当でない円高を是正して低位安定させることであった。一時的な円安では意味がない。仮に安定的に1ドル=100円~110円くらいの水準が可能になれば(スイスやデンマークのように)、製造業は安心して日本に帰って来て国内の設備投資が伸びる。国際競争力も再び高まり、国民心理も盛り上がること間違いない。しかし、先に述べたとおり、それは不可能になってしまっている。日米円ドル委員会に始まる経済構造変革の内政干渉を許し続けてきたのは、自民党政権である(民主党政権の外交はそれと比較にならないくらいハチャメチャであったが)。だから、自民党政権でこの問題に抜本的メスを入れることは不可能であろう。
 かくして、超円高水準を強いられ続けた我が国産業界が衰退の一途を辿っていることは、今さら言うまでもない。国際競争力はどんどん低下していっている。国際競争力が低下していくと、円相場はどうなるのか。もっとシビアにグローバル経済下の為替政策の観点から考えてみよう。米国や韓国など諸外国の為替政策から考えて、円高(自国通貨安)の必要性はどうなるのか。どんどんその必要性は薄れていく。つまり、円は放っておいても円安に向かっていくのである。我が国企業が海外に出て行った後で。

モラルなき財政ファイナンス

 話を非伝統的金融政策に戻そう。今まで見てきたように、量的緩和にしろマイナス金利にしろ、非伝統的金融政策はやったことがないのだから、それが本当に国民経済を活性化させるものになるかについては、何の実証もない。にもかかわらず、なぜこれほど日銀が叩かれて、次から次へと新たな非伝統的金融政策が持ち出されるかというと、それくらい打つ手がないからである。10年前は「失われた10年」と言われていた。その後、自民党政権も民主党政権も色々なことをやってはきたのだが効果はなく、「失われた20年」になってしまった。そうなると、今までやったことがなかったことに賭けるしかない。
それに、政治は常に敵の存在を必要とする。先に述べたとおり、本当の手強い敵は、例えば日本国民の目には見えない内政干渉を続けているアメリカなのであるが、政治家はそれは言えない。対米関係が最も大事という事情もあるし、何より内政干渉を許し続けていること自体があまりにも大きな政治の失態であるからである。そこで、格好のスケープゴートにされたのが日銀なのだ。
 かくして、効果の程はわからないにもかかわらず日銀を叩いて国債を買わせ、“高度成長期の夢よもう一度”とばかりに200兆円の公共事業を打ち出しているのであるが、これは極めて危険な経済政策である。なぜなら、モラルがないからである。 
 「財政ファイナンス」という言葉がある。中央銀行が財政赤字を埋めるために国債を買うことを意味する。ところで先に、日銀が市中銀行から大量に国債を買ってその代金を日銀当預に払い込んで積み上げる「量的緩和」政策について述べた。中銀が国債を購入しているという点では、財政ファイナンスも量的緩和も同じように見える。しかし、慶応義塾大学教授の池尾和人氏は、中央銀行が国債購入を増加させることを前提として、政府が財政赤字を拡大させるような政策を採る場合、中銀による国債購入は国の財政赤字を中央銀行が穴埋めする財政ファイナンスあるいは国債のマネタリゼーション(貨幣化)だとして、その危険性を指摘している。量的緩和政策の効果の程はともかく、国債残高が増えていない状況下で中央銀行が国債を買うのであれば、それは単なる量的緩和政策だと言えよう。しかし、我が国の借金はとめどなく膨張を続けている。その国債を日銀が買う。これは明らかに、モラルなき財政ファイナンスだと見なければならない。

是清が一番にやったことは断固たる円安政策

 金融緩和と積極財政を主張するいわゆるリフレ派は、しばしば「高橋是清に学べ」と言う。是清に学ぶ――そのこと自体には私にも異論はない。しかし、正しく学ばなければならない。
 例えば、リフレ派の中には「高橋是清が最初にやったのは金本位制からの離脱です。金本位制から脱却することで無制限にお金を刷れるようになりました」などと言う者もいるが、これは事実ではない。確かに是清は日銀の保証発行限度を大幅に拡張して10億円としたが、無制限にしたわけではない。まずは、そのような歴史的事実から検証しなければならないし、さらに踏み込んで高橋是清が行なった金本位制離脱政策の実相を理解する必要があろう。また、リフレ派は高橋財政のことを「積極財政」と呼ぶが、実は当時高橋財政は「積極財政」ではなく「健全財政」と呼ばれていた。このあたりの検証も大切だ。
 まず、金本位制離脱について説明していこう。金本位制とは、一国の通貨価値に金の裏付けを持たせた制度である。その国の通貨は一定量の金の重さで表すことができ、通貨と金との交換は保証される。金本位制は19世紀末に国際的に確立し、我が国も明治30年(1897年)に金本位制を導入した(1円=純金750ミリグラム)。第一次世界大戦によって各国政府とも一旦金本位制を中断して管理通貨制度に移行するが、大戦が終わると再び金本位制に復帰していった。我が国でも昭和3年(1928年)頃から金本位制復帰論が台頭してくる。その主目的は、「為替の安定」にあった。我が国は昭和5年(1930年)1月に金本位制に復帰するが、それを断行した井上準之助蔵相(高橋是清の前任蔵相)は次のように語っていた。「為替相場の動揺のために物価が動揺することは、商売社会の最も好ましからざることであり、財界の不安この上もないことであります。何となれば、為替の見通しのごときは最も困難なことで、常に商売人に累を来たすものであります。しかるに解禁(筆者注:金本位制復帰)後は為替相場はほとんど一定不動のものとなりますから、以前と比較し商売が非常にしよくなることは確かであります」。しかし、結果的にこの井上による金本位制復帰は、「暴風に向かって窓を開けた」と言われることとなる。暴風とは何か。1929年(昭和4年)10月24日のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発した世界恐慌である。
 そもそも、この金本位制復帰に当たっては、「旧平価」でやるべきか「新平価」でやるべきかという論争があった。「旧平価」とは先に述べた明治30年(1897年)に定められた1円=純金750ミリグラムである。「新平価」論者は、この水準は昭和にあっては円高であり、もっと円安水準で金本位制に復帰すべきだと説いた。しかし井上は、あえて厳しい「旧平価」を選択することで企業体質を強化して国際競争力を高め、国家の威信を示すためにという理由で、「旧平価」での金本位制復帰を断行したのである。
 ところが、世界恐慌、今とは比較にならない大デフレの時代である。どういうことになったか。まず我が国のデフレ状況である。東京卸売物価指数を見てみると、昭和4年6月には174.5であったものが、昭和5年12月末には127.9と、わずか1年半の間に3割近くも下落している。今のデフレの比ではない。ところが、欧米のデフレはさらにすさまじかった。4~5割も下落したのである。その結果、元々円高水準で金本位制に復帰したところへもってきて、諸外国の方が物価下落が激しかったため日本製品は一段と割高となり、輸出は激減することになったのである。ここで登場するのが高橋是清である。
 昭和6年(1931年)12月13日、井上に代わって蔵相の座に就いた高橋是清は、当日に金本位制から離脱し円の切り下げを図る。井上時代、100円=49ドル台だったものが、昭和6年12月末には早くも34ドル台となり、翌昭和7年になると年平均28.12ドルとなる。さらに是清は、昭和8年3月には一層の円の低位安定を図り、1円=1シリング2ペンスで円を英ポンドと固定(ペッグ)させた。その結果、円は100円=20ドル前後に落ち着くことになる。100円=50ドル近かったものが、20ドルになった。今の表現方法に換算すれば、1ドル=2円の円高を1ドル=5円の円安に是正(しかも安定的に)したのである。この円安の効果は絶大で、日本の総輸出は井上時代の最後である昭和6年の11.5億円から高橋時代の昭和10年には25億円へと、わずか4年で2倍以上になったのである。金本位制からの離脱によって是清がやったことは、為替の低位安定化による輸出振興だったのである。

「健全財政」と呼ばれていた高橋財政

 高橋財政と言えば、「積極財政」というイメージが固まっている。しかし、実は当時高橋財政は「健全財政」と呼ばれていた。それは、高橋財政の一般会計歳出額の推移を見てもよくわかる。昭和8年から昭和11年まで、一般会計歳出額は約22億円で横ばいである。それだけ見ても、歳出を膨張させていなかったことはわかるが、その中身を見てみるとさらに厳しく歳出を抑えていたことがよくわかる。というのは、この一般会計歳出の中で軍事費だけは経済成長率並みの伸びを認めていたのである(先に述べた輸出振興策により、高橋時代、経済は安定成長し、実質成長率は年7.2%であった)。逆に言えば、軍事費と3年間で8億円を投じた農村不況対策費以外の歳出は実質的にマイナスであったのである。
 また是清は、「公債漸減主義」さえ唱えるに至っている。昭和10年11月26日に行なわれた昭和11年度予算閣議で、是清は次のような演説を行なった。「予算も国民の所得に応じたものを作らねばならぬ。財政上の信用というものは無形のものである。その信用維持が最大の急務である。ただ国防のみに専念して、悪性インフレを引き起こし、その信用を破壊するがごときことがあっては、国防も決して安固とはなり得ない」。先に述べたように、是清は決して軍事費拡大に絶対的に反対していた訳ではない。むしろ、例外的に経済成長率並みの拡大を認めてきたのである。しかし、財政規律の観点から限度というものがある。是清は、この演説の翌年、昭和11年の二・二六事件で非業の死を遂げる。まさに命がけで健全財政を守ろうとしたのであった。ちなみに、二・二六事件を起こした皇道派の重鎮・荒木貞夫は、昭和6年12月、是清の蔵相就任とともに陸相となったが、当時このように語っていたという。「今の内閣で真個に国家のために思ってゐるのは、高橋ぐらゐなものである」。

「常識で考えても、借金政策は永続しない」

 こうした事実にもかかわらず、高橋財政が積極財政と誤解、あるいは曲解されているのは、国債の日銀直接引き受けを行なったことと、“芸者遊び”発言によるものであろう。ここで、その真相を見ていくことにする。
 まず、国債の日銀引き受けであるが、興味深いのは、日銀理事も務めた経済評論家・吉野俊彦の指摘である。吉野は、高橋是清が行なった国債の日銀直接引き受けは、日清戦争の戦費調達のために川田日銀総裁が行なった手法と同様のもので特に独創的なものではなかったとしている。川田総裁は、まず日銀が戦費に必要な資金の貸し付けを行ない、それによって市中銀行の預金が増大したところで後から国債を公募して消化させるという手法であったのに対し、是清が行なったのは、まず日銀に国債を直接引き受けさせて、後から売りオペレーションで市中銀行に売却するということで、それは後先が逆になっているだけだというのである。実際、是清の蔵相在任期間中に発行された国債39億円のうち86%が日銀引き受けされたが、そのうち91%は後で市中消化されている。つまり、是清が行なった国債の日銀引き受け策は、「一旦」引き受け策とでも言うべきもので、したがって高橋財政時代のインフレ率も年2%と極めて安定していた。また、是清は昭和7年7月には、金融機関の保有する国債の評価を商法の時価主義の特例として帳簿価格とすることとした。これは、市中銀行が保有する国債の評価損がなくなることを意味するので、市中銀行の国債保有を促進することとなる。他にも是清は様々な措置を取って、国債の市中消化を図っている。是清はただ無暗やたらに国債の日銀引き受けを行なったのではないのである。昨今の粗雑なリフレ派は、とにかく「日銀が国債を買え」と叫ぶばかりであるが、国債をいかに安定的に消化させるか、その是清の苦心と政策をこそ学んでもらいたいものだ。
 二つ目の“芸者遊び”発言とは、昭和4年11月に行なったこの演説のことだ。
 「仮にある人が待合へ行って、芸者を招(よ)んだり、 贅沢な料理を食べたりして二千円を費消したとする。これは風紀道徳の上から云へば、そうした使い方をして貰い度(た)くは無いけれども、仮に使ったとして、この使われた金はどういう風に散らばって行くかというのに、料理代となった部分は料理人等の給料の一部分となり、また料理に使われた魚類、肉類、野菜類、調味品等の代価及びそれらの運搬費並びに商人の稼ぎ料として支払われる。この分は、即ちそれだけ、農業者、漁業者その他の生産業者の懐を潤すものである。而してこれらの代金を受け取りたる農業者や、漁業者、商人等は、それを以て各自の衣食住その他の費用に充てる。それから芸者代として支払われた金は、その一部は芸者の手に渡って、食料、納税、衣服、化粧品、その他の代償として支出せられる。即ち今この人が待合へ行くことを止めて、二千円を節約したとすれば、この人個人にとっては二千円の貯蓄が出来、銀行の預金が増えるであらうが、その金の効果は二千円を出ない。しかるに、この人が待合で使ったとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それがまた諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなって働く。故に、個人経済から云へば、二千円の節約をする事は、その人にとって、誠に結構であるが、国の経済から云へば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなって働くのであるか十倍にもなって働くのであるから、寧(むし)ろその方が望ましい訳である。茲(ここ)が個人経済と、国の経済との異なって居る所である」。
 この発言を取り上げて、「是清は何でもいいからお金を使うことが国の経済にとっては良いことだと説いた日本のケインズだ」と言う向きがある。しかし、まず時代背景としてこの演説は井上デフレ時代に行なわれたものであることを抑えておく必要があるだろう。それとともに、是清は借金に関してはこのように述べている。昭和10年の朝日新聞への寄稿だ。「常識で考えても、国家その他の公共団体の経済たると個人経済たるとを問わず、借金政策の永続すべからざることは当然である。公債増発に伴って利払費は漸増し、租税その他の収入もその利払に追われる結果となるであろう」。個人も国家もこと借金に関しては同じで、借金を増やし続けていけば首が回らなくなることは、常識で考えてもわかると説いているのだ。
 国のため健全財政を守ろうと命懸けで闘ったこの是清の真の姿は、今日、歪められて伝わっている。これは泉下の是清にとって無念であるだけでなく、我が国にとって極めて危険なことである。
是清が携わった最後の予算である昭和11年度予算は、形の上では是清が訴えた赤字公債漸減をほぼ達成するものであった。しかしその実態は、軍事関係の新規継続費を約5億円から11億円へと倍以上に積み増し、また会計上の「無理算段」(高橋是清)を重ねてのものであった。「会計上の無理算段」。これは、詳しくは後述するが、毎年基礎年金の国庫負担に四苦八苦し、何とか埋蔵金で取り繕っている、今の我が国財政を彷彿とさせはしまいか。
 当時、軍部は財源を求め、国債増発に関する研究に力を入れるようになっていた。その中でこのような論が唱えられていた。「国債は国民の債務なると共にその債権なるを以て、国債の増発も国民全体としては財の増減が無い故に、内国債である限り国債の増加も国民全負担の増加にあらず、何等恐るるに足らず」。これまた、今日の一部リフレ派が主張していることとぴったり重なるではないか。
 我が国の政府債務は、満州事変が勃発した昭和6年度(1931年度)末には70億5300万円であったが、戦線の拡大とともに増加の一途をたどる。そして、敗戦の年、昭和20年度(1945年度)末には実に1994億5400万円にまで膨らんでいた。その結末がハイパーインフレであったことは、言を俟たない。もちろん、敗戦により国土が焦土と化し、供給力が壊滅的に低下していたことがハイパーインフレの需給面からの要因であり、本章冒頭で述べたように需要不足が大きい今の我が国において、日銀が国債を買ったからといってすぐにハイパーインフレになる訳ではない。しかし、財政規律というモラルが崩れていけば、そこから国が崩壊していくことは間違いないのである。

戦前の軍事費=現代の社会保障費

 いま、我が国の政府債務はとめどなく増え続けている。是清の時代と比べてはるかに複雑になった今日の政府債務を表す数字は色々あるが、財務省理財局国際企画課によれば、平成24年度末見込みの「国債及び借入金現在高」は1086兆円と1000兆円を超える。なぜ、日本の政府債務は増え続けるのだろうか。なぜ、借金を重ねるのだろうか。
 まず、二つのグラフを見てもらいたい。一つ目は「平成24年度一般会計予算歳出内訳」の円グラフである。最も多くお金が使われているのはどの分野か。社会保障である。全体の29.2%を占める。次にその歴史的推移を見てみよう。この50年で着実に増えてきているのが社会保障関係費と国債費(国債の償還や利払いに充てる費用)であることは一目瞭然だ。さらに言えば、平成24年度予算における社会保障関係費26.39兆円というのは野党から「粉飾だ」と批判され、後に修正している。どういうことか簡単に説明しよう。我が国の公的年金制度は、現役世代が支払っている年金保険料を高齢者が受け取る年金に充てる賦課方式というやり方を採っている。したがって、急速に進む少子高齢化に伴って、現役世代が負担しなければならない年金保険料はどんどん増えることになってしまう。そこで、現役世代の保険料負担を少しでも軽減しようと、平成21年年4月から基礎年金の国庫負担割合がそれまでの3分の1から2分の1に引き上げられた。つまり、基礎年金の原資は半分が現役世代が払う年金保険料。残りの半分が「国庫負担」となったのである。この「国庫負担」とは何か? 国の金庫の中にそういうお金があるように思うかもしれないが、そうではない。国の収入は税金しかないのだから、これは本来は税金(より具体的に言えば消費税)を指すのである。しかし、政治家にとって「増税」は票につながらないから、消費増税は後回しにされ続け、その間、この「国庫負担」はいわゆる霞が関埋蔵金で手当てされてきた。いわば本当に「国庫負担」されてきたわけだが、24年度は埋蔵金が枯渇したため民主党政権は「年金交付国債」という奇策を考え出した。年金交付国債についての説明は省くが、そのポイントは一般会計に計上しなくて済むという点にあった。そうすれば当然、一般会計の見かけは良くなる。しかし結局、野党からの粉飾批判を浴びて後に一般会計に計上したので、実際には一般会計予算に占める社会保障関係費は3割を超えている。
 読者の多くは、「少子高齢化が進んでいるから、社会保障関係費が増えるのは止むを得ない」と思っていることだろう。しかし実は、本来ならば、我が国の社会保障制度においては、人口構成がどうなろうとも、社会保障関係費はそれほど増えるはずはないのである。なぜなら、我が国の社会保障制度の基本は社会保険制度だからである。社会保険制度とは、民間の保険会社の保険と同じように考えていただいてかまわない。保険料を支払う人がいて、給付を受ける人の分はその保険料から支払われる。それを民間企業ではなく国でやっているのが、社会保険制度である。ではなぜ、社会保障関係費が増え続けるのか。次のグラフ「社会保障給付費と社会保険料収入の推移」を見てもらいたい。平成10年あたりから社会保険料収入が全く伸びなくなっているにもかかわらず、社会保障給付費はどんどん増え続けていることが一目瞭然である。ざっくり言えば、この給付費と保険料収入との差額が社会保障関係費として一般会計に回り、それを借金で手当てし続ける構造になってしまったのである。我が国の社会保険制度は平成10年頃からすでに崩壊していると言ってよい。
 なぜこんなことになってしまったのだろうか。それは、政治の責任であり、より根源的には我々国民の責任である。政治家は票がもらえなければタダの人になってしまうから、どうしても国民に甘言を弄する。だから、保険料収入が伸び悩むことは自明のことであったにもかかわらず、給付だけはどんどんやる制度を作った。社会保障が専門の鈴木亘学習院大学教授は、このように指摘する。「医療保険だけでなく、年金や介護保険でもこの根拠不明な公費の大盤振る舞いが行なわれています。介護保険に至っては、6割近くが公費。社会保険への公費投入はすでに多くの国民の既得権になっていますから、なかなか一朝一夕にここにメスを入れることは難しいかもしれません」。
 戦前、歯止めなく国の借金を膨らませていったのは軍事費であった。今は社会保障関係費である。言わば、戦前の軍部に当たるのが今日においては我々国民なのである。

リフレ派が国民を愚民にし国を崩壊させる

 「年金を払う金がなかったら、日銀に紙幣を刷らせて受給者に渡せばいい。ただそれだけである。これはおそらく、誰も反論できないはずである」。某リフレ派のこの言葉ほど、昨今のモラルなき「何でも日銀論」を象徴するものはないであろう。これは、「反論できない」ではなく、日本経済についてまじめに考えようとしている人間なら開いた口がふさがらないと言うほかない。前述したとおり、年金問題の本質は少子高齢化時代の世代間扶養の問題である。誰がどのように負担するのか、給付はどのように削減すべきなのか。誰かのプラスになれば誰かのマイナスになる簡単な解のないこの難問に道筋をつけることこそ、政治の責務ではないか。それを避けていては、将来不安はいつまでも解消されず、日本経済再生などあり得ない。
 さらに言えば、安倍首相は「強い経済の回復」と言うが、その言葉自体が「高度経済成長期の夢よもう一度」というイメージで、厳しい現実を国民に伝えることを避けている感じがしてならない。その象徴が10年間で総額200兆円を投じるという国土強靱化計画だ。筆者は必要な公共事業があることはまったく否定しない。しかしそれは、高度成長期のように新しいハコモノをどんどん造ることではない。高度成長期から1990年代にかけて造られた膨大なインフラの更新投資だ。笹子トンネル事故で明らかなように、我が国のインフラは更新投資の時期を迎えている。その必要額は今後ますます増えると予想され、平成21年度国土交通白書では次のような恐るべき試算さえ出されている。公共投資額が平成22年度以降横ばいと仮定し、一定の条件で維持管理費と更新投資を推計した時、維持管理費と更新投資を合わせた必要投資額が総投資額に占める比率は、平成22年度は約50%だが、平成49年度には100%を上回るという。つまりこのまま推移すれば、20数年後の平成49年度以降は、新規の公共投資を行なうことは不可能となるばかりか、必要な維持補修・更新投資さえままならなくなるということである。ということは、維持できずに捨てざるを得ないインフラが出てくるということだ。インフラの取捨選択、集中。今まで問われることのなかったこのような観点を踏まえた政策が求められてきているのである。もちろん、国土強靭化計画にも更新投資は含まれている。しかし、この計画の主旨が、既存インフラの維持すらままならないという厳しい現実をどう乗り越えていくかにあるのではなく、高度成長期と同じ「公共事業ありき」の発想にあるのは明らかである。
 今は高度成長時代ではない。少子高齢化で高度成長期に作った社会保障制度が揺らぎ、従来のインフラをどう安全に維持していくかが問われている時代なのだ。一国のリーダーには、その厳しい現実を国民に伝え、国を支える国民としての自覚を促し、その現実に立ち向かう政策を実行する責任がある。今の日本人は「国民の暮らしに国は責任を持つべき」と思っている人の率が76.4%と世界でもトップクラスに高い。国はやってくれて当たり前という甘えた愚民ばかりになってしまっているのだ。国のトップがそんな愚民のウケを狙う政策ばかりを唱えるようになれば、間違いなく国家は崩壊に向かう。社会保障制度の抜本的改革はいつまでも先送りされ続け、更新投資の問題からは目を背けて目先の公共投資で一時的な需要増を図り、国の借金は規律をなし崩しにして増え続け、いつかは虎視眈々と儲けを狙う海外ヘッジファンドや日本国債売買を武器として使う中国の売り攻勢によって国債は暴落することになるであろう。
 最後に、前著でも取り上げたルソーの言葉を今一度引用して、本章の終わりとしたい。「臣民の義務を果たそうともしないで、市民の権利を享受するような不正が進めば、共同体の破滅を招くだろう」。

参考文献
『日本銀行の機能と業務』(日本銀行金融研究所編・有斐閤)
『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』(松本崇・中央公論新社)
『高橋是清』(大島清・中公新書)
『高橋是清と井上準之助』(鈴木隆・文春新書)
『国債と金利をめぐる300年史』(真壁昭夫他・東洋経済新報社)
『日本経済「余命3年」』(竹中平蔵・鈴木亘他・PHP研究所)
『日本の未来、ほんとは明るい!』(三橋貴明・WAC)
『日中開戦(下)』
日本経済新聞
朝日新聞
日本工業新聞

参考ホームページ
・財務省
・日本銀行
・全国銀行協会
・日本経済研究センター
・zakzak
・JB PRESS