国家とは何か、外交とは何か――戦後日本の総決算 | 再生日本21


国家とは何か、外交とは何か――戦後日本の総決算

厭戦平和主義者が戦争を招く

 日中関係や日中開戦という時の日中とは、言うまでもなく日本という「国家」と中国という「国家」との関係や戦争のことである。では、「国家」とは何なのであろうか。本章では、「日中開戦」を糸口として、国家とは何か、外交とは何かという、より根源的なテーマについて考察していきたい。
 「戦争は絶対イヤ!」。『日中開戦!』という本を上梓するという話をした時に、ある女性から返ってきた言葉である。「戦争は絶対イヤ!」それはそうであろう。しかし、「戦争は絶対にイヤ! この思いを伝えていかなくてはならない」いういわゆる平和主義者の人に出くわすと、私は違和感を覚えざるを得ない。生物の本能として誰もが命は惜しいものである。だから、「戦争は絶対イヤ!」などという気持ちは、そんなに力を入れて伝えなくても、誰もが当たり前に持っている感覚なのである。
 かつて小室直樹氏は『新戦争論』において、「ひとりひとりが平和を願えば世界に平和がもたらされる」という平和主義者のことを「神州不滅の念力主義者」と称して厳しく批判した。小室氏の指摘は冷徹で、戦後の甘い言語空間に突き刺さる。「本当の平和主義者であれば、まずは戦争の本格的研究から始めなければならないはずである。戦争が起きれば平和ではないから、戦争が起きるための条件、不幸にして起きてしまったらどうするか、これらについての十分な研究なくして、平和主義者たる資格はない。だが、アメリカの大学には、軍事学部が数えきれないくらいあるというのに、アメリカの教育制度を猿真似したといわれる日本には一つもない。それどころか、大学に軍事学部を作れ、なんて言おうものなら、正気のほどを疑われるだろう。軍事研究はタブーであり、大学でそんな研究をすることは、きついご法度だからだ。なぜタブーかというと、誰も戦争のことなど少しも考えずに、また口に出さなければ、けっして戦争が起こるはずはないと堅く思いこんでいるからだ。これが一つの信仰にまでたかめられている」。
 これは最近のオスプレイ配備反対の声を聞いていても感じることである。オスプレイ配備の根本問題は、アメリカの力を借りて対中抑止力を高めるということにあるのは、冷静に考えれば誰もが分かるはずのことだ。オスプレイは、老朽化が進む現行のCH46ヘリコプターと比べ、速度・積載量・行動半径が2~4倍になる輸送機で、とりわけ行動半径が現行CH46の150キロから600キロに広がり、尖閣有事に普天間からノンストップで即応できるなど、対中抑止力が格段に強化されると言われている。中国に限らず、力の空白や隙に付け込むというのは、古今東西、軍事進攻の鉄則である。それを理解するならば、戦争を望まない、侵略を望まない、そして平和を望む者こそが、オスプレイ配備を訴えるのが理の当然ではなかろうか。ところが、マスコミ報道は「オスプレイは墜落事故を起こす。沖縄県民の命を危険にさらす」という色合いが極めて強く、世間の空気もそれに流されており、2012年8月の時事通信社調査でも、「安全性が確認できればオスプレイの沖縄配備を認めるとする政府方針」を「支持しない」が58%にも達している。戦争と平和について冷徹に考えられないこの空気は極めて危険である。かつてヨーロッパでもこうした平和主義が広がった時期があった。第一次大戦後である。その結果どうなったか。ヒトラーの侵略を許すこととなったのである。
 第一次大戦は新しい大量殺戮兵器の出現により、戦勝国となったイギリスやフランスでも、それぞれ91万人、136万人もの戦死者を出した。そのため大戦後は、戦勝国となった英仏でも厭戦平和主義が瀰漫した。敗戦国ドイツはヴェルサイユ条約において、よく知られているように莫大な賠償を課せられたが、それとともに厳しい軍備制限をかけられた。英仏はこれで安心して軍事から目を背けるようになったのだが、ヒトラーはそこにどんどん付け込んでいったのだ。1935年3月10日、ドイツ政府はドイツ空軍は既に存在することを宣言した。明らかなヴェルサイユ条約の蹂躙である。しかし、英仏は動かなかった。これに味をしめたヒトラーは、同年3月26日、「ヴェルサイユ条約の第五編はもはや存在しない」と宣言。第五編とはドイツ軍に七個師団十万を強制する条項であった。それでも動かぬ英仏を見て行けると踏んだヒトラーは、1936年3月7日、ラインラントに進駐した。ラインラントとは独仏国境に近いライン川の西側地域のことで、ヴェルサイユ条約で非武装化が定められ、これに違反することは敵対行為とみなすとされていた。しかし、フランスはこれも容認したのだ。歴史の「もし」の話だが、この時フランスが断固たる行動、つまり武力行使に出ていれば、ヒトラーはつぶれていた。第二次世界大戦後、フランス軍に尋問されたドイツ軍のハインツ・グデーリアン将軍は、「もし1936年にフランス軍がラインラントに進軍すれば、我々は敗北し、ヒトラーは失脚していただろう」と答えている。ヒトラー自身も後年、次のように述懐している。「ラインラントへ兵を進めた後の48時間は、私の人生で最も不安なときであった。 もし、フランス軍がラインラントに進軍してきたら、貧弱な軍備のドイツ軍部隊は、反撃できずに、尻尾を巻いて逃げ出さなければいけなかった」。何もせぬ厭戦平和主義が、ヒトラーの台頭を許したのである。
 ちなみに、このラインラント進駐のタイミングがポイントである。この時フランスは政変中であり、動員令を下そうにも、その主体となる政府が存在しなかったのである。先にも述べたが、力の空白や隙に付け込むというのが、軍事進攻の鉄則なのだ。厭戦平和主義、力の空白、隙……。まるで現在の我が国そのものようで、心が寒くなる思いがする。

ルソーが説いた「国のために死せよ」

 ここまで、厭戦平和主義がかえって戦争を招くという危険性について指摘してきた。しかし残念ながら、軍事から目を背けることが平和につながるという意識は、日本人の中にしっかり根付いている。2005年に電通総研などが行なった世界価値観調査によれば、「(もし戦争になったら)進んで国のために戦うか」という問いに対して、イエスと答えた日本人は15.1%で世界でダントツの低さである。ちなみに、中国は75.7%、韓国は71.7%、米国は63.2%、ロシアは60.6%となっている。日本国憲法前文に書かれている「平和を愛する諸国民」が「進んで戦う」、いわば好戦的であるという事実も興味深いが、それ以上に私の目を引いたのは、同じ調査における「国民の暮らしに国は責任を持つべきか」という問いへの回答との対比である。我が国ではこの問いに対して71.4%がイエスと答えている。ちなみに、2010年の調査では76.4%とさらに上昇した。国に対する要求意識は世界でも上位にランクされる。国のために戦うのは嫌だが、国は国民の暮らしに責任を持ってほしい。今の日本人の多くは、こういう意識を持っているのである。
 その是非を考えるのは、もう少し後にしておこう。国家には様々な面があるが、その一つには「機能的国家」と位置づけられるものがある。国民の暮らしをより良いものにするというのは、機能としての国家を考えた時、当然求められることであろう。今日の民主主義理論の基となるルソーの『社会契約論』は抽象的で難解であるが、身体と財産とを防衛し、保護するための契約国家を説いた。国家をそのような機能の面からとらえた論である。しかし、実はルソーは『社会契約論』において、次のようなことも述べているのである。「市民は、主権者が求めれば、直ちに国家に対してなしうるかぎりの奉仕を行なわなければならない」「すべての人は、必要とあらば祖国のために戦わなければならない」「統治者が、市民に向かって『おまえの死ぬことが国家に役立つのだ』と言うとき、市民は死ななければならない」。多くの日本人は、「民主主義の祖であるルソーの言葉とは思えない!」と驚くのではないだろうか。『社会契約論』は公民の共同体の世界とも言われるが、共同体のことを思う公民が支えなければ、その共同体は成り立ちえない。だから、ルソーはこのようにも言う。「臣民の義務を果たそうともしないで、市民の権利を享受するかもしれない。このような不正が進めば、政治体(共同体:Corps Politique)の破滅を招くだろう」。ありきたりの言葉であるが、国家に対して権利を求めるならば義務を伴うのである。戦後の日本では、権利の主張ばかりで果たさなければならない義務については軽視されてきたという話は、よく耳にするところである。しかしここでは、その戦後日本人の精神を云々するのはやめて、別の角度から考察を進めていきたい。

古今東西に例のない国防の義務の欠落

 ルソーも言うように、義務を果たそうともしないで、権利のみを享受しようとする国民ばかりになれば、その国は「破滅」して当然である。国民の義務にはどんなものがあるか。今の日本国憲法に定められている国民の義務は、教育・勤労・納税の三つである。ちなみに条文は以下のとおりである。「第二六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」「第二七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」「第三〇条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」。
 義務教育とは受けなきゃいけないということではなくて、子供に受けさせなきゃいけないということだったのかと、初めて得心した方もいたのではないだろうか。それはともかく、我が国における国民の義務には、諸外国のそれと比較して明らかな欠落がある。それは、国防の義務である。米国でも中国でも韓国でも、当然、国防の義務は謳われている。現在の国家だけではない。国民の義務としての国防の義務は、古代ギリシャ以来、不変にして普遍なものである。そもそも国民の義務とは、国家共同体を維持、継続させていくために国民がやらねばならないことなのであるから、それはあまりにも当然と言えよう。だからこそ、ルソーも「祖国のために戦わなくてはならない」と説いたのである。これを読んで戦後の日本人は驚くが、世界各国どこの国民も驚きはしない。
 戦後の日本人は権利の主張ばかりで義務を軽視してきたどころか、そもそも国防の義務はなかった。であれば、国のために進んで戦うという国民の比率が世界でダントツに低くなるのも無理からぬ話である。にもかかわらず、戦後67年間軍事的な攻撃を受けず、ルソーが説くような「破滅」に至らなかったのはなぜなのか。別の言い方をすれば、小室氏が言う「誰も戦争のことなど少しも考えずに、また口に出さなければ、けっして戦争が起こるはずはない」という「信仰」が、何となく信じられるような状態が継続してきたのはなぜなのか。それはもちろん、(信仰の世界ではなく)現実の世界において、日米安保条約、いわゆる「核の傘」があったからである。先のオスプレイ配備問題と同じく、冷徹に考えれば戦後日本が戦争に巻き込まれず平和を保ってこられたのは、日米安保があったからである。国民の多くは、これも何となく分かっている。つまり、多くの国民は、平和信仰という新興宗教も熱心ではないが何となく信じており、その一方で現実的には日米安保という意識も何となく持っている。こういうあいまいな頭の状態だと言えよう。

核の傘に守られた平和信仰

 私が考察を進めていきたいのはここからだ。この“あいまいさ”である。かつては今より熱烈な平和信仰者がいた。ベトナム反戦運動などもかなり激しく闘われた。しかしである。ベトナム戦争を巡って反米運動は展開しても、彼らが信奉する「平和憲法」を米国に普及させようとは誰もしなかった。平和憲法が世界に平和をもたらす柱であるならば、当然それが世界に広まらなければ世界平和は訪れないはずである。本当にそれを実現させようとすれば、米国内に「米国平和憲法普及協会」のような団体を設立するだけでなく、かなり周到なロビー活動を行なう必要があるが、彼らの誰もそんな活動は行なわなかった。米国に限らない。中国でも韓国でも北朝鮮でもロシアでもいい。平和信仰者はそういう国につてがある者が少なくない。そういう有力者を通じてそれらの国で平和憲法が採用されるように命懸けの活動をしたものがいたか。誰一人として、いはしない。平和信仰者がそういう国に行ってやってくることは、世界平和のために平和憲法を普及することではなく、謝罪だけである。つまり、彼らは本当のところで真剣に「平和憲法は世界平和の柱だ」と思っているわけではないのである。そんなものが他国に行って通じるはずがないことはよく分かっているのだ。ではなぜ、この信仰が戦後日本では通じるのか。先に述べたように日米安保があるからである。皮肉なことに、平和信仰は日米安保の核の傘によって守られているのである。「雨よ、降るな!」。こう念じても雨は降る時には降る。しかし、傘の下でそれをやれば、雨は降りかかってはこない。この傘は結構やっかいな傘であることは事実である。しかし、念力によって雨が降らないのではなく、このやっかいな傘があるから濡れないのだという現実とまず向き合わなくては、地に足のついたまともな思考ができるはずがないのである。

保守も平和憲法を盾に現実から乖離した

 ここまで、いわゆる左派・平和主義者は実は本気ではない、現実と向き合っていないことを難じてきた。では、政権を担った保守の側は、そういう現実に向き合ってきたのだろうか。戦後の保守政治の基本路線は、いわゆる「吉田ドクトリン」である。吉田ドクトリンとは、日本の安全保障は米国に依存し、日本はもっぱら経済成長に専念するという吉田茂が採った国家戦略のことをいう。第二次大戦後の極東における共産勢力の台頭を受けて、米国は日本に軍事費を増加させるよう再三要求したが、吉田は「平和憲法」を盾にそれを拒んだ。その後も我が国保守政権は、国内左翼勢力を言い訳に使いつつ、国防にお金をかけることなく高度経済成長を達成した。経済面から見れば、極めて現実的な選択だったと言えよう。
 しかし、吉田ドクトリンという国防軽視、経済優先の現実的選択をしたことによって、厳しい国際社会を生きているという現実から、かえって乖離することになったのではないか。「男は閾(しきい)を跨(また)げば七人の敵あり」というが、国家も同じである。他国がいつもみな友好的で日本の味方であればありがたいが、そんなことはあり得ない。友好的な国もあるが、公の場で名指しで批判してきたり、軍事的に脅しをかけてくる国もある。友好的な国もずっとそれが続く保証はないし、例え友好関係が続いてもその国の力が弱まれば、我が国の国際的なポジションも弱いものになる。そういう難しい国際社会にあって、毅然と独立を保ち、交渉を優位に進め、自国の目的を達成するためには、様々な手を駆使しなければならない。その一つの手立てが軍事である。カール・フォン・クラウゼヴィッツは有名な『戦争論』において、「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」とし、戦争を外交の一種とみなしたが、日本以外の国は今でもそう考えて外交政策を遂行している。それは、米国を見ても、中国を見ても、あるいはそんな大国ではなく共に核開発を続けるインド・パキスタンといった国々を見ても、お分かりいただけるであろう。それが、本来の国家の現実、外交の現実なのである。
 ところが、戦後日本の保守政権は、米国の核の傘に入って、国家存立の前提となる自国の安全保障についてはお茶を濁し続けてきた。国民は、吉田茂が盾に取った平和憲法前文にある「平和を愛する諸国民」に包まれた夢のような世界の中で、ただひたすら経済的に豊かになることを求め続けてきた。この戦後保守政権が作りだした世界も、左派・平和主義者と同様、国家の現実と向き合うことを避けた戦後日本の特殊空間だったのではあるまいか。
 言葉に対して極めて鋭敏な感覚を持ち、小林秀雄氏亡き後の文芸批評の第一人者とも評された江藤淳氏は、かつてこの戦後の言語空間を「ごっこの世界」と呼んだ。「ごっこ」とは鬼ごっこや電車ごっこの「ごっこ」である。江藤氏は言う。「『ごっこの世界』では、どんな経験も決して真の経験の密度に到達することができない」「なにをやっても『ごっこ』になってしまうのは、結局戦後の日本人の自己(あい)同一性(でんてぃてぃ)が深刻に混乱しているからである」「自衛隊をたどって行くと米軍の極東戦略にぶつかり、米国の核の傘に出逢うように、われわれの意識と現実のあいだにはつねに『米国』というものが介在している。『米国』が現実をへだてるクッションとして現存しているために、戦争も歴史も、およそ他者との葛藤のなかで味わわれるべき真の経験は不在であり、逆にいえば平和の充実感も歴史に対立すべき個人も不在である」。
 江藤氏の言うとおり、真の経験を通じてこそ、戦争や平和の大変さを実感でき、自己(あい)同一性(でんてぃてぃ)は確固たるものとなるであろう。しかし、戦後の日本においては、それが欠落し続けている。だから、何となく平和信仰であり、何となく日米安保であり、国家はあって当たり前、暮らしを保証するのが当たり前というような感覚になるのである

隠蔽された経済政策での対米従属

 江藤氏が「『ごっこ』の世界が終ったとき」を書いたのは、1970年1月である。この論文の中で江藤氏は、戦後の「ごっこ」の世界が崩れ、真の経験が可能になりつつあることを次のように述べている。
「第一にヴェトナム戦争を契機とする国際情勢の流動化と、その結果の米国の世界政策の転換である(中略)そして第二には日本経済の飛躍的な拡大である。沖縄変換交渉が進められていた一九六九年には、日本経済の成長率は名目で十八パーセント、実質で十三パーセントに達し、国際綜合収支の黒字は十六億五千万ドルに達した。すでにこの分野では、われわれは『ごっこ』の成立し得ない段階に突入してしまっている。いいかえれば、この分野だけでは真の経験が可能になりつつあり、その予感は繊維自主規制、残存輸入制限の撤廃、自動車を中心とする資本自由化の促進というようなかたちで提起される米国の要求となってあらわれている。ここでは『米国』はすでにわれわれに対立している。それは意識の先端に附着している奇妙なクッションではなくなり、全力を傾けて迫って来る競争者の正体をあらわしはじめている」。
 戦後の日本が、米国の核の傘の下で、言いかえれば対米従属下で、経済成長に専念してきたことは既に述べた。その結果、軍事的には引き続き米国の従属下にいるが、経済的には米国に敵対する存在になってきた。そうなれば、経済の分野では、米国は自国経済の障害となる日本経済の問題点は叩きつぶそうとするようになり、その真剣勝負の世界に突入することで「ごっこ」の世界は終わる。江藤氏はそのように述べていたのだ。この予言は当たったようにも見える。しかし、直接かかわった企業関係者や通商交渉当事者は別として、多くの日本国民は、経済の世界でも本当の意味でその厳しさを実感することはなかったのである。
 日米構造協議(Structural Impediments Initiative (SII))。日米貿易不均衡の是正を目的として1989年から1990年までの間、計5次開催された2国間協議である。この協議はどういうものであったか。米国側の通商代表部の日本担当部長、通商代表補代理を歴任したグレン・フクシマは、著書『日米経済摩擦の政治学』の中でこのように述べている。「建前としてはSIIは相互通行の対話という形をとってはいるものの、『本音』としては米国(政府だけではなく広義に議会、産業、報道機関、世論までも含めて)は、SIIによってできる限りの多くの変革を(米国ではなく)日本が行なうことを期待しているのである」。江藤氏が予言したとおり、米国は言わば経済敵国となった日本を自国に都合のいいように変革しようとしてきたのである。しかし、日本側はそうは言わなかった。日本政府は当時これを「友好国同志のアイディア交換」(平成二年版通商白書)と表現している。
 そもそも日米構造協議の英語原文を今一度見ていただきたい。Structural Impediments Initiative。正確には「構造障壁イニシアティブ」と訳すべきものである。米国が日本市場に参入する上で妨げとなる構造的な障壁を米国がイニシアティブをとって取り除こうという意味である。イニシアティブという言葉は既に半ば日本語化しているが、「主導権」という意味の単語で「協議」などという語義はない。米政府の公式文書の日本語版でも、Initiativeは「イニシアティブ」とカタカナに置き換えられて表記されており、「協議」などとは訳されていない。日本側があえて「協議」と誤訳したのは、米国の内政干渉であることを隠蔽しようとする明らかな政治的意図がある。
 日米構造協議は、その後1994年から始まる「年次改革要望書」(The U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative.これもまたInitiative)へとつながっていく。年次改革要望書とはどういうものか。米国が日本に対して、産業・金融・エネルギー・行政・司法に至るまで、様々な分野にわたって要求を突き付けてくる文書である。「年次」であるから、もちろん毎年出される。受け取った日本側は、各省庁の担当部門に振り分け、検討し、やがて審議会にかけられ、最終的には法律や制度が改正されていく。日米の当局者は定期的に点検会合を開き、要求がきちんと実行されているかどうかチェックするようにもなっている。
 この年次改革要望書は、建前としては対等かつ双方向ということになっている。だから、外務省のホームページには、日本側が形式としては米国に送った年次改革要望書は掲載されていた。が、米国側が日本に突き付けた要望書の方は公開されていなかったのである。言うまでもなく、日本国民の生活にとって重要なのは、日本の変革を企図する米国側の要望書である。にもかかわらず、それは掲載しない。「我が国は米国と対等な外交関係にありますよ。このように要求していますよ」という虚構の世界しか見えないようになっていて、我が国は経済政策の面でも対米従属・内政干渉を強いられているという厳しい現実は、見えなくなっていたのである。だから読者は、この話を読んで「そこまでされているのか……?」とにわかには信じ難かったのではないだろうか。しかし、これが真実、現実なのである。つまり日本国民は、経済の分野においても、真の経験、真の実感は、いまだにできていないままなのである。
 なお、年次改革要望書は民主党政権になって廃止され、現在は「日米経済調和対話」(U.S.-JAPAN Economic Harmonization Initiative.これもまたInitiative)と形を変えて継続している。主な内容は、「規制緩和」「新規参入の促進」などで、そう聞くとさも良さげだが、より具体的に例えば「残留農薬基準の緩和」と聞くとどうであろうか……。

敵が見えていなければ「戦略」は出てこない

 本当は厳しい対外関係があるのに、それが認識されていないとなるとどうなるか。厳しい対外関係がある、より分かりやすく、敵がいると思えば、相手の意図や目的を考え、それに対処しようとする。つまり、戦略・戦術が出てくる。それが認識されていないと、戦略・戦術は出てこない。敵も戦略もないとどうなるか。本来の敵ではない敵を国内に見つけ出して叩くようになる。また、敵の広報戦略にいとも簡単にひっかかる。自分の言葉ではない敵の言葉を、さも自分の言葉のように語り出す。「構造改革」「規制緩和」「金融自由化」などはその典型である。今の日本の政治は、まさにこの状態にある。
 今世紀に入ってから「政策」や「計画」という言葉に代わって「戦略」という言葉がやけに経済方面に用いられるようになってきた。野田佳彦内閣で閣議決定された「日本再生戦略」などはその代表だ。その中身を見てみよう。11の成長戦略とされたものは以下のとおりだ。「グリーン成長戦略」「ライフ成長戦略」「科学技術イノベーション・情報通信戦略」「中小企業戦略」「農林漁業再生戦略」「金融戦略」「観光立国戦略」「アジア太平洋経済戦略」「生活・雇用戦略」「人材育成戦略」「国土・地域活力戦略」。以上である。これが戦略だろうか? 政策なら分かる。しかし、戦略という言葉は元々戦争から来た言葉であり、政治・社会・経済などの分野に転じても、敵や手強い相手方の存在があり、それに勝つための作戦計画を意味するはずである。しかし、「日本再生戦略」に書かれている内容には、敵がいないのである。ほとんど内向きの話ばかり。対外・対敵という点では、ほとんど唯一戦略に値するはずの「アジア太平洋経済戦略」の中身を見てみれば、そこに書かれていることは、今流行りの「開かれた国」の話であって、やはり敵は全く見えない。しかし、グローバル化とはイコール手強い敵との激しいグローバル競争を意味する。そういう状況下にあって、単に国を開けばいいなどという単純な話であるはずがない。グローバル競争においていかに有利な状況を作っていくか。それこそが戦略であり、今問われなければならないのはそうした本来の意味での戦略に他ならない。しかし、どこまで行っても敵はいない世界に生き続ける我が国においては、本当の戦略は出てこないのである。

円高に対する戦略はないのか

 読者には経済に関心を持っている方が多いであろうから、今しばらく我が国の国家経済戦略を考えていこうと思う。
 我が国経済の苦境が語られる時に、必ず筆頭に出てくるのは「円高」である。言うまでもなく、円高とは相手国通貨があっての話である。相手があることだから、本来ならばまさに戦略の対象になるはずである。しかし閣議決定された「日本再生戦略」を読んでみても、円高に対する戦略らしきものは全く見られない。これは驚くべきことと言わざるを得ない。円高や為替政策に関して、いくつか事実を確認していこう。
 まず、「通商白書2012」に発表されている為替相場と日本の株価との相関である。それによれば、2004年1月1日から2012年4月30日の期間において、ドル円相場と日経平均との相関係数は0.84。TOPIXとだと0.90。そして、ウォン円相場との相関係数にいたっては、それぞれ0.95と0.97。明らかに、円高(ウォン安)の動きと歩調を合わせて日経平均が下がるようになっているのである。つまり円高は、ただ単に輸出企業・製造業にダメージを与えるだけでなく、日本経済全体に多大なマイナスの影響を及ぼす事象であり、まさに国家戦略として取り組まねばならないはずなのである。
 ちなみに、野口悠紀雄一橋大学名誉教授や中野剛志京都大学准教授ら少なからぬTPP反対論者は、「もう既に十分低い関税より、問題は為替」と述べているが、そのとおりであろう。そもそも内閣府の試算によっても、TPPの経済効果は10年で2.7兆円、GDPの0.54%程度。平均年率に直せば0.0539%、金額にして2695億円で、為替の影響に比べれば誤差の範囲内といってよい。
 次に、円高是正を求める声がどうなったかを見てみよう。やや前になるが、2010年10月14日付の日本経済新聞である。それによれば、経産省政務三役らに大手電機や自動車メーカーなどから「韓国の介入はやり過ぎだ」と、対ウォンでの円高是正を求める声が殺到。経産省は2010年9月、財務省にウォン安是正に向けた介入の是非の検討を求めたという。しかし現実には、韓国側の為替取引規制などから多額の円とウォンを交換できる市場はなく、日本による介入は事実上封じられていた。そうした技術的理由とともに、日韓関係への配慮という政治的理由も加わり、円高ウォン安是正を求めるこうした声は「黙殺された」と記事は伝えている。

自由で巨大な為替市場が実体経済を振り回す

 しかし、実は韓国の為替相場制度は、我が国とそれほど違いはないのである。IMFの為替相場制度分類によれば、韓国の制度は自由度ランクが上から2番目の「フロート制」に分類されており、これは日本や米国と同じランクなのである。中国のように閉ざされた管理相場ではない。さらに言えば、為替介入制度も日本と似ている。中央銀行である韓国銀行も介入権限を有しているという点や介入に関する情報公開を一切行わないという点で違いはあるが、政府が介入資金を調達する場合、日本において外国資金特別会計が政府短期証券を発行するのと同様のやり方を採っている。先の記事にもあったように、確かに円・ウォンの市場は事実上ない。韓国の介入も日本と同様、基本的にウォン売りドル買い介入である。ではなぜ、韓国は介入によりウォン安を実現でき、日本はできないのだろうか。
 カギは為替取引高にある。財団法人国際通貨研究所の調査による世界の為替取引における通貨別内訳をみてみると、韓国ウォンの比率は増加してきているとは言え、2010年で1.51%に過ぎない。一方、円の比率は低下してきているとは言え、2010年でも18.97%を占め、ウォンとの違いは文字通り桁違いである。分かりやすい話で、韓国ウォンは市場が小さいから介入が効くのである。では、経済規模の違いから我が国では介入は効かず、円高は諦める他ないのか。別の数字を見てみよう。貿易量に対する為替取引高を見てみると、韓国ウォンは21.5倍で、我が国は161.9倍。さらに「ミセス・ワタナベ」で名高いFX市場。規制により市場はやや縮小気味とは言え、FX調査会社フォレックス・マグネイトによれば、今でも我が国のFX売買高は世界全体の実に約4割を占める。我が国は実体経済に比べて為替の市場が膨らみ過ぎてはいるのである。
 ちなみに、しばしば「為替は自由な市場が決める」などという声を耳にする。確かにその通りである。しかし、そうして決まった為替水準が妥当であるとは限らない。例えば、為替水準の一つの物差しである購買力平価で見てみると、ドル・円は2011年で106.8円である(OECD発表)。もちろんこれは一つの目安に過ぎないとは言え、行き過ぎた円高を数字的に裏付けるものと言えよう。ではなぜ、市場は妥当でない水準に収まるのだろうか。市場は儲かる方向にポジションを取る、力に付くからである。したがって、市場は日本政府の意向など顧みることはない。注意しているのは米国の国策である。このような市場の動きと国家戦略を関連させて捉える見方は、マスメディアでも学会でもほとんど論じられることはないが、大局的に市場を見ている一部の専門家からは、指摘されることがある。伊藤忠ファイナンス会長や阪南大学教授などを歴任した石田護氏や、高田創みずほ総合研究所チーフエコノミストがそうである。石田氏はかつて「日経公社債情報」誌上で「市場は米当局の意向に敬意と警戒を示し続けている」と述べた。近年では高田氏がみずほリサーチ2011年9月号において、明確に語っている。「過去40年を振り返り、なかでも実務家の立場で30年余り、為替市場を見続けた立場として抱く『実感』は、為替の大きなトレンドはすべて米国サイドで決まっていたことだった」「米国の本音がドル安にあるとしたら、日本サイドで少々のことをしたくらいで2007年以降の大きなトレンドが変わるとは思えない」。
 膨らみ過ぎた為替市場は米国の意向を見て動く。また、東日本大震災直後の突発的な円高などは、FX市場のストップロスオーダーによる損切りの連鎖が大きな原因とされる。実体経済に大変な影響を及ぼす為替が、投機マネーに振り回されているのである。

自国が操作できる為替相場こそ国家「戦略」

 なぜ、円の為替市場は、かくも我が国には手に負えないようになってしまったのだろうか。それこそ、米国の国家「戦略」である。著書『拒否できない日本』において米国の「イニシアティブ」メカニズムによる内政干渉を明らかにした関岡英之氏は、このメカニズムのルーツは1984年の「日米円ドル委員会」にあるとしている。日米円ドル委員会では、為替先物取引における実需原則の撤廃など、「金融自由化」の美名の下で我が国金融制度の大改造が行なわれた。そして、関岡氏は同書の中で日米円ドル委員会には思わぬ仕掛け人がいたとして、次のように述べている。「(小松製作所と競合していたキャタピラー・トラクター社のモーガン会長は)日本との競争に勝つためには、日本の金融市場を開放させ、アメリカが日本の金利や為替レートに影響を与えて円高になるよう操作できるような構造に変えるべきだとホワイトハウスや財務省に陳情したという」。現在の円相場が、まさにそのようになっていることは、先に述べたとおりである。
 本当に円高戦略を考えるのであれば、ここのところに対する認識がなければならない。しかし、戦略のない「日本再生戦略」を作った民主党に限らず、自民党にも認識がない。あるいは上述してきたような対米従属関係という根っこには触れないようにしている。今、自民党は円高デフレ問題を論じる時、徹底的に日銀を目の敵(かたき)にしている。先にも述べたが、真の敵、真の姿が見えなければ、国民受けのために国内に敵を作って的外れな攻撃をするしかなくなる。繰り返すが、円高問題は相手国がある問題である。その相手国がある自国通貨高問題において、韓国、あるいは1ユーロ=1スイスフランの上限に為替相場を張り付かせたスイスなどは、為替市場への介入というやり方によって見事に成功しているのである。なぜ、そういう成功した国の国策に学ぼうとせず、「介入は効かない」という一言でそれ以上先に進まず、そして身内の日銀叩きに走るのだろうか……。
 ところで、今の自民党は民主党との違いを際立たせようと、保守色を強めていると言われている。しかし、「保守」とは何なのか。次は「保守」と「国家」について考えてみたい。

「私はこれまでの人生で人間に出会ったことはない」

 先に「祖国のために戦え」「国家のために死せよ」というルソーの言葉を引いた。今多くの日本人はこう言った言葉を聞くと、「保守」の意見(しかもかなり偏った)だと思うことだろう。しかし、言うまでもなくルソーは「保守」ではない。ルソーは、国家は契約によって作られ、その契約を可能にするのは「一般意志」だという。極めて抽象的で分かりにくい論理であろう。私たちは、そのような国家のために、死を覚悟して戦えるものだろうか。あるいは、私たちの生命・財産を守り、快適な生活を保証してくれる優れた機能をもつ国家のためならば、命を捧げて戦う気持ちになれるだろうか。このような人間の頭脳から来る理性万能主義的考え方や功利的な考え方に疑問を呈し、今ある確かなものに立脚しようとするのが、エドモンド・バークに始まる「保守主義」である。
 ボードレールが「ものの考え方を教えてくれた」と讃えているジョゼフ・ド・メーストルの次の言葉は、保守主義の見方を端的に表している。「私はこれまでの人生で、フランス人、イタリア人、ロシア人などとは会ったことがない。しかし、はっきり言うが、人間に関しては、私はこれまで一度たりとも出会ったことがない」――分かりづらい表現かもしれないがかいつまんで言うと、「人間」とは抽象的な、人全般を指す言葉であって、具体的な人間とはフランス人であったり、日本人であったりする。さらに言えば、日本人でも東北人であったり、東北人でも津軽人であったり会津人であったりする。東北弁と言っても、津軽と会津では全然違う。一緒くたにはできない。このように現実の人間とは、様々な背景をもった具体的存在としてあるのであり、人類とか人間という言葉でひとつに括ってしまうことはできない。
 別の言い方をしてみよう。私は浅井隆である。二人の子供を持ち、年老いた父親のことを思う日本人である。私は世界人類のことも考えるし、世界の悲惨な状況下にある子供たちやお年寄りの報道に接すれば、なんとかならないものかという気持ちは起こる。しかし、その気持ちに自分の子供や老父のことを思うほどの切実感はない。プリンストン高等研究所教授で政治哲学者マイケル・ウォルツァーは、「私の忠誠は、私の人間関係と同じように、私の中心から始まる」と述べ、世界市民主義といえども、まず「わが家」「わが街」「わが職場」「わが国」、その先に「世界」が来る、そういう捉え方でなければ「われわれは道徳的に迷ってしまう」と言った。京都大学教授の佐伯啓思は、「『見知らぬもの』」に対する一般的な正義よりも、『慣れ親しんだもの』に対する確かな責任の中にこそ道徳の芽を見出すべきであろう。その方がはるかに実際的であり、それこそがアダム・スミスの言い方を借りれば、『人間の自然の性向』にもかなっているというべきだとわたしには思われる」と述べている。私たちは一人ひとり立脚点を持っている。その立脚点から始まる。こういう考え方が「保守主義」である。
 繰り返しになるが、「国のために戦う」というのは、契約国家論のルソーも唱え、今日の中国でも当たり前の考え方である。したがって、それ自体は「保守」も「右」でもない。それがない戦後日本が異常なだけである。

「保守」の国家観は歴史的国家

 この「保守主義」の観点から国家はどのように捉えられるのだろうか。昨今、英スコットランドやスペインのカタルーニャ州で独立運動が勢いづいている。この背景には長い歴史がある。「この300年で最も重要な決断だ」。独立の是非を問う住民投票を行なうことについてキャメロン英首相と合意したスコットランド自治政府のサモンド首相の言葉である。300年の意味するところはこういうことだ。1707年の連合法によってイングランド王国とスコットランド王国は合邦してグレートブリテン王国となったが成立した。この合邦は形式的には対等とされているが、様々な点で不公平な併合であったと考えるスコットランド人が少なくない。そのスコットランドの歴史と名誉を回復するのが独立だというのである。
 カタルーニャ州も同様だ。2012年9月11日、カタルーニャ州の州都・バルセロナで独立を求める人のデモは150万人にも膨れ上がった。この9月11日は18世紀のスペイン継承戦争でカタルーニャ州が国家の地位を失ったと語り継がれる日である。カタルーニャ州は経済的に豊かな地域であることも独立運動の背景にはあるが、何よりも大きいのは歴史であり、歴史とは名誉であり、習俗であり、文化である。
このような歴史的継続性の中に国家を捉えようとする考え方、これが「保守」の国家観である。なお、先に述べた例でお分かりいただけると思うが、ナショナリズムとパトリオティズム(愛国心・郷土愛)とは混同されることが多いが、実は微妙な関係にある。ソクラテス・プラトン研究の第一人者であった哲学者・田中美知太郎氏はパトリオティズムについてこのように述べている。「『パトレー』(patre)『パトリス』(patris)というのは、同一祖先をもつ家族や氏族を指すのが本来であって、わたしたちの言語や習慣、あるいはまたわたしたち自身の存在や文化が、わたしたちの共通の祖先から伝えられたものであって、わたしたちはこれを共有しているのだという自覚、それがpatriotismというものなのであろう」。
 この田中氏の理解に従えば、「保守」にとって国家とは、ナショナリズムというよりは、パトリオティズムの対象として捉えられるものであると言えよう。先の英国やスペインに限らない。米国により顕著であるが、近代国民国家とは、従来の歴史・文化を共有する民族的共同体を超えて意識的に作られていったものである。したがって、近代国民国家においては、その統合のために、人為的な努力、ナショナリズムが必要となる。我が国においてその意識があいまいなことに関し、田中美知太郎氏は次のように述べている。「国家のこの抽象的な面、あるいは意識のある程度の高さを要求する面、すなわちある程度の努力によって形成されなければならない面は、われわれ日本人にはあまり気づかれないで来たようである。それは日本国家の成員であるわれわれが、一民族一言語一文化というような統一性をもったものとして、言わば自然に統一されやすい条件をそなえていたために、国家の統一に意識的な努力をすることが、比較的すくなかったからではないかとも考えられる」。
 現在、ナショナリズムは我が国より諸外国においてはるかに高いのは、本章の頭の方で取り上げたアンケートを顧みるまでもなく明らかであろう。にもかかわらず、我が国は国民的分裂の様相は全く呈していない。これは、田中氏の指摘が今も生きているからであろう。

国家の自立的生存の根拠とは

 ここまでのところをまとめておこう。
 「国家」とは何か。まず、生命・財産を保証してくれる機能的国家という面がある。近代国民国家は、そのために人為的に作られ、その統合のためにはナショナリズムを必要とする。ナショナリズムで統一された国家がしのぎを削る場が国際社会であり、その中で毅然と独立を保ち名誉ある地位を占めるには、軍事を含めた様々な外交手段を用いなければならない。しかし、戦後日本では「平和を愛する諸国民」に囲まれているとして、軍事からは目を背け、自国の存立は米国に委ねてきた。しかも、その現実を国民が明確に自覚することはなく、政治も真の敵からは目を背け続けているため国家戦略は出てくるはずもなく、混迷を極めている。日本国民は国のために戦う意思はなく、求めるばかりであるが、「国のために戦う」という考え方やナショナリズムは、右でも左でもない。いわゆる右とされる「保守」は、近代において人為的に作り出されたものに対して懐疑的で、歴史的継続性に国家の意味を見出す立場である。
 最後にもう一度、戦争を通じて国家と外交について考えていこうと思う。かなり前の話になるが、1979年、ソ連による軍事侵攻脅威論が高まっていた頃、経済学者の森嶋通夫氏(元ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授)が、全面降伏論を提唱したことがある。日本国民は高度の規律を保ちながら、威厳を持って降伏するのが、もっとも賢明な政策だと唱えたのである。これに対して、前述の小室直樹氏は、論理的にナンセンスだと次のように批判した。
 「戦争は国際紛争解決の手段である。しかも、通常、最終手段である。ソ連軍が攻めてくるという事態があるとすれば、それに先行する国際紛争があるはずである。つまり、わが国とソ連との間で、なんらかの国益をかけた紛争があることになる。紛争があれば解決を図らなくてはならない。紛争の解決の手段はいろいろありうる。少なくとも両国間の外交交渉によって、解決のプロセスが始まるであろう。場合によっては、第三国あるいは国連などのような国際機関による調停もありうるかもしれない。いずれにせよ、たとえば、ソ連よりのある具体的な要求に対して、日本はいかに対処するかという様相を呈することになる。もし、この段階で日本が譲歩してソ連を満足させれば、そもそも戦争は起こらない。(中略)そうであるならば、ソ連軍が攻めてきたなら全面降伏するということは、論理的にナンセンスということになる。なぜならば、全面降伏の覚悟があるということは、先方の要求を全面的に満足させるということに等しい。つまり、戦争以前の段階で当該紛争は解決しているのだ」。
 ここで展開されている議論は、現在においても決して古びないものである。絶対に武力行使をしない完全平和主義ということは、戦争前から相手国の言うことを全て飲むということである。戦争を生起するようないざこざ・揉め事は絶対に起こさないということなのだから、そういうことである。そういう立場・考え方もあるだろう。しかし、それが威厳をもった名誉ある降伏になるのだろうか。善し悪しの問題は置いておいて、中国も韓国も北朝鮮も、「抗日」の歴史を強調する。スコットランドやカタルーニャ州は、名誉ある独立を求める。歴史を共有する国家共同体の一員として名誉ある降伏とは、自国を背負い、独立を求め、ぎりぎりまで外交交渉し、最後には命をかけて戦い、そこまでやった上での降伏なのではないだろうか。
本章の最後に毎日出版文化賞(1992年)を受賞した桶谷秀昭氏の名著『昭和精神史』からの言葉を引きたい。
 「戦争は避けるべきであった、といふのは、これも戦後の通念である。勝ち目のない戦争は避けるべきだ、といふ常識論で、だれの耳にも入りやすい。しかし、いつ、どんな条件の下で戦争を避けるかといふ、具体的な論議は菅見の知らないところである」「いふまでもなく外交交渉は相手によって拘束される」「ルウズベルトから返書が来た。(中略)これはワシントン会議における中国にたいする九か国条約を一般原則論として箇条書きしたもので、具体的には中国から日本軍の完全撤兵、それに仏印からの撤兵を含意している。それならアメリカのフィリピン領有は、領土と主権の尊重の原則からして、どうなるかといふ問題は「太平洋地域における現状維持」によって排除される。この原則論の固辞は、思へば日米交渉のはじめからをはりまで、アメリカの一貫した態度で、それ以上に一歩も踏み出さなかった。いひかへれば、アメリカは日本と交渉する気ははじめからなかった。ただ時を稼いでゐたかったのである」「しかし、絶対的非戦の方針が論理上あり得る。アメリカの主張を全面的に受け容れることである。これは敗戦後になって出てくる意見であるが、当時は朝野どこにもこの考へ方を唱える者はゐなかった。なるほど『平和』は保たれたかもしれないが、それには次のような代償を払はねばならない。重慶政府に謝罪し、汪兆銘政府を見殺しにし、三国同盟を裏切り、『ハル・ノオト』の主張する多辺的不可侵条約に寝返るのである」「一個人と同様に、一民族、一国家が、その安全と利害打算からのみ、なりふりかまはず生きるといふ考え方は、その自立的生存の根拠になり得るであらうか」。

参考文献

『新戦争論』(小室直樹・光文社)
『国家についての考察』(佐伯啓思・飛鳥新社)
『社会契約論』(ジャン=ジャック・ルソー・白水ブックス)
『一九四六年憲法――その拘束』(江藤淳・文藝春秋)
『拒否できない日本』(関岡英之・文春新書)
『アンチモダン――反近代の精神史』(アントワーヌ・コンパニョン・名古屋大学出版会)
『田中美知太郎全集』(筑摩書房)
『昭和精神史』(桶谷秀昭・文藝春秋)
日本経済新聞