水俣が問う、病める近代 | 再生日本21


水俣が問う、病める近代

浅井隆の原点は「環境問題」

いきなりですが、このホームページをご覧の皆さん。経済ジャーナリスト・浅井隆が学生時代、どういう研究をしていたか、ご存知ですか?
皆さんがお持ちの浅井の著書の巻末にある〈著者略歴〉を見てみて下さい。
「学生時代から経済・社会問題に強い関心を持ち、早稲田大学政治経済学部在学中に環境問題研究会などを主宰」とあります。
意外に思われるかもしれませんが、浅井隆の経済・社会問題に対する関心の原点は、「環境問題」にあったのです。

狂騒状態から死にいたる患者も

今日でも、環境問題は地球温暖化等、様々な観点から訴えられています。しかし、高度成長期の環境問題のひどさは、到底今の比ではありませんでした。
高度成長期は、経済優先。そのツケはストレートに環境、そして生物、人体に及んでいました。その象徴が水俣病などの「四大公害病」でした。
ご存知の方も多いでしょうが、改めて簡単に四大公害病についてご説明しておきましょう。
高度成長期、1950年代後半から1970年代に、公害により住民に大きな被害が発生しました。
このうち被害の大きかった「水俣病」「第二水俣病」「イタイイタイ病」「四日市ぜんそく」を四大公害病といいます。
中でもチッソの工場廃液による水俣病は、世界的にも「ミナマタ」の名で知られ、環境汚染により引き起こされた人類史上最初の病気であり、
「公害の原点」ともいわれています。
具体的に水俣病の主な症状としては、四肢の感覚障害、運動失調、視野狭窄、聴力障害、平衡機能障害、言語障害、手足の震え等があります。
重症の患者の場合には、狂騒状態から意識不明をきたしたり、さらには死亡したりする場合もありました。

原点の原点、水俣に学ぶ

浅井は5年前、日本再生を唯一の事業目的とする会社「再生日本21」を立ち上げました。
そして、再生日本21で行なっている「志塾」のプログラムの一環として、水俣研修を行なっています
(次回は来年2月に行ないます。志塾生以外の参加も受け付けております。詳しくはこちらをご参照下さい)。
環境問題は「浅井隆の原点」であり、そして水俣病は「公害の原点」であるからです。
では、水俣に行って何を学ぶのでしょうか。現地で水俣病の語り部の方からお話を聴けば、その悲惨さを痛感します。
それは、現地に行ってしか体験できないことです。
しかしそれだけでは、「ああ、悲惨」という感想を持って私たちはまた都会に帰ってきて、日ごろの生活に戻っておしまいです。
水俣に学ぶというのは、それだけでいいのでしょうか?

ノーベル化学賞の技術を先駆的に活用するチッソ

さて、先に「チッソの工場廃液による水俣病」と書きました。実は最近、このチッソという会社名が新聞紙上を飾ったことがありました。
公害問題でではありません。ノーベル化学賞にからんでです。
記事の冒頭部分を抜き出してみましょう。
「6日、ノーベル化学賞の受賞が決まった(中略。根岸、鈴木両氏らの研究)「クロスカップリング反応」は、
成果を取り入れたチッソや東ソーなど日本企業がグローバルに競う力の源泉になった。
今後も液晶パネルや有機ELの素材、医薬品の合成など幅広い分野で応用が期待できそうだ。
同技術を液晶の量産にいち早く応用したチッソは現在、液晶技術で独メルク社と市場をほぼ二分する大手になっている」(2010年10月7日付 日本経済新聞)。
現在の私たちの生活に欠かせない液晶。
今回の日本人二人のノーベル化学賞受賞は、その液晶を作るのに有効な技術で、その技術をいち早く応用したのがチッソなのです。
近代化学を使って生活に有益なものを作る——実は、このこと自体は水俣病を引き起こした当時のチッソとノーベル化学賞の技術を先駆的に活用している現在のチッソとで、
なんら変わりはないのです。

豊かな生活を求めた近代化学が引き起こした水俣病

101007-nikkei 水俣病は工場廃液に含まれていた「メチル水銀」が原因ですが、もちろんメチル水銀を流すのがそもそもの工場の目的ではありません。
アセトアルデヒドを生産するのが目的でした。メチル水銀は、その製造過程で発生してしまったのです。
アセトアルデヒドからは酢酸や酢酸ビニルが作られ、酢酸はアセテート繊維、酢酸ビニルはビニロンと合成されて、昭和20年代から30年代にかけて繊維産業を発展させました。
つまり、当時の生活を豊かにするための化学の活用が、結果として大変な悲劇を引き起こしてしまったのです。
ですから、水俣病患者の支援組織「財団法人水俣病センター相思社」も、「水俣病はなぜ発生したのですか?」という問いに対してこのように答えています。
「チッソという会社が直接の原因です。しかし、そのころの日本が貧しく、人々は『経済的に豊かになりたい』という気持ちが強く、
国は『高度経済成長』という政策で支えていました。そのことも大きな原因です」。
近代化は私たちの生活を豊かにしてきました。しかし、人知万能の近代は、それまでの人間が持っていた自然と共生していく知恵を失ってしまったのではないでしょうか。
そして、それは水俣病の悲劇を招いただけでなく、私たちの日常の生活にも様々な面で大きな影響を与えているのです。

近代科学で完全防衛、それでまともな人間が育つのか

「IHクッキングヒーター」というのをご存知ですか? ガスを全く使わない「オール電化」という新しいライフスタイルとともに広がってきている電磁調理器のことです。
しかし、さる12月11日に行なわれた志塾で、地球環境問題について講義した浅井は、このIHの電磁波の危険性について強く警告しました。
皆さんもネットで、IHの安全性について調べてみて下さい。「100%安心です」と太鼓判を押す意見はほとんどありません。
遠い将来にわたって本当に人体に影響がないのかどうか、どうも心配です。
それに、仮に人体への影響がなかったとしても、火に触れることのない生活というのは、本当にいいのでしょうか。人間にとって健全なのでしょうか。
「火を使わないから子供がいる家庭でも安心安全」というようなトークを耳にしますが、少しでも危険と思われるものを排除することが良いことなのでしょうか。
12月1日の日経夕刊に「砂場 完全防衛、安心?やりすぎ? 室内・鉄柵や徹底消毒」という記事が掲載されました。子供の遊び場である砂場の当世事情です。
そこに書かれていた内容は、筆者の想像以上でした。東京都内のある「有料室内遊戯施設」内にある砂場。
そこでは、「紫外線を受けると周囲の雑菌やアレルギー物質を分解する光触媒で覆われた『抗菌砂』を使用し、
スタッフが毎日ごみや虫の死骸などを取り除いている」というのです。正直、筆者はぞっとしました。
こんなところで育った子供は無菌状態でなくては生きられないような恐ろしくヤワな人間に育つでしょう。
そんな人間が自然との共生などできるはずがありません。きれいで快適な生活を求める私たちは、実は恐ろしい方向に向かって足を進めているのかもしれません。

社会システムの近代化が招く生活の空洞化

近代化は、社会システムの面でも、私たちに便利で快適な生活をもたらしてきました。
かつては家族や隣近所、地域で行っていた、高齢者の面倒見、ゴミの処理、しつけ教育などを、現在は行政が中心になってはるかに大規模、集中的に行なうようになりました。
それによって、私たちは日常の煩わしさから随分解放されたと言えるでしょう。しかしその反面、小さくない問題が新たに生起していないでしょうか。
12月11日に行なった志塾では、事業仕分けの仕掛け人として一躍有名になった「構想日本」の加藤秀樹さんも講師としてお招きしました。
事業仕分けにも色々と問題はあるでしょう。しかし筆者は、その本来の精神は意味あるものだと思っています。
事業仕分けはそもそも、地方自治体におけるお金の使い方を自分たちでチェックしようという趣旨で始まりました。
人任せにせず、自分たちの手でチェックする。ここに意味があると考えます。
加藤秀樹さんは上述したような社会システムの近代化に関して、次のような疑問符を投げかけます。
「たいていの国民は、国家が面倒を見てくれるのなら、それにすっかり依存するようになる」
「同時にそれは、コミュニティや個人の生活の空洞化を招いた。
われわれは(中略)地域の共同事業を行政にアウトソーシングすることが『近代化』だと考えていたのだが、
その近代化の結果、同じ町内でも住民同士のコミュニケーションは極端に減ってしまった」(加藤秀樹編著『ひとりひとりが築く新しい社会システム』より)。
社会システムの近代化にも、やはり光と影があるのです。

「水俣病でメシを食え」

再生日本21が主宰する水俣研修のテーマは「病める近代の象徴、水俣病と地域再生」です。
そして、この研修の全てをコーディネートしてくれるのは、「水俣教育旅行プランニング」というNPOの代表、吉永利夫さんです。この吉永さんが大変魅力的な人なのです。
吉永さんは、元々水俣の人ではありません。
静岡の出身で20歳の時にたまたま機会があって水俣に行き、そこからそのまま水俣病患者支援活動の先頭に立ち、その後の40年近い人生を水俣で生きることになるのです。
その過程の中には、本当に色々なことがあったようです。活動上の矛盾、個人的な人生の山谷、そしてモノの見方の変化……。
そういう諸々を、吉永さんは力むことなく、さらっと話してくれます。
吉永さんは2000年に前述した水俣病患者支援組織「相思社」を退職し、現在の「水俣教育旅行プランニング」を設立しました。
そして言います。「水俣病でメシを食え」と。この過激な表現のココロは何でしょうか?

近代の負の部分を乗り越えて

吉永さんは2009年、『日経ビジネス』に「水俣病でメシを食え」というタイトルで6回にわたって、水俣の様々な姿と町再生の取り組みについて連載しました。
その中で繰り返しこう言っています。「水俣というと、水俣病の町、汚れた海といったイメージが強いでしょう。でも、水俣は水俣病だけの町ではありません。
日本でも有数の環境都市であることに加えて、温暖な気候を利用した安心・安全な農作物、森や川に恵まれた豊かな自然など、様々な顔を持っています。
こうした水俣の多様な姿を、訪れる人々に伝えていきたいと日々活動しています。『水俣病でメシを食え』。私は常々、こう連呼しています。
水俣病という最悪の公害を生み出した水俣。その水俣だからこそ伝えられることがある。そして、それが水俣という地方都市の活性化につながる——。そう考えるからです。
もちろん、水俣病は終わっていません。ただ、負の遺産をポジティブにとらえることは、新しい水俣を作る第一歩になるでしょう」。
吉永さんは水俣の「民間主導型自治」も唱えます。そしてこうも言います。「『民間主導型自治』と書いて、変なことに気がつきました。
自治は本来民間主導なはずですから矛盾しています。大それたことを考えているわけではありません。
『自分たちが生まれた村を、自分たちが守りたい』(中略)要は、行政任せではない街づくりです」。
いかがでしょうか。水俣病という近代の病理を一身に背負った町は、まさに近代の負の部分を乗り越えて自らの力で再生しようとしています。
すっかり近代依存が染み付いてしまった私たちは、この町から多くのことを学べるのではないでしょうか。

㈱再生日本21
執行役員 稻田雅彦