飛岡健氏インタビュー | 再生日本21


飛岡健氏インタビュー

現代人間科学研究所所長 飛岡健氏インタビュー

「どういう年金システムを選ぶか
——国家の意思を決める大きな議論が重要だ」

現代人間科学研究所所長の飛岡健氏年金問題を考える上で大切なことは何か。自然科学から社会科学まであらゆる分野を研究し、多数の企業の顧問を歴任している「現代人間科学研究所」所長の飛岡健氏は、「小手先の技術論ばかりの議論ではいけない」と語り、「政治家は『国家としてどういう形の年金制度を選択するか』という大きな議論をするべきだ」と指摘した。


官僚と国民の両方に責任がある

——社会保険庁の5000万件記録漏れなどの一連の問題についてはどう見ていますか?

【飛岡】記録漏れや未払い、あるいは乱用などは、本来ならば国や検察が追及しなくてはならない問題だ。民間の保険会社は未払い問題などで国から厳しく追及されている。社会保険庁の場合はデータ自体が消えているなど、さらにずさんだ。公金横領や乱用あるいはコンプライアンスの問題であれば、社長以下徹底的に追及され更迭されている状況だし、大きな刑事問題に発展していてもおかしくない。

しかし、社会保険庁は、ボーナス一回分返上といったことで、なんとなく免罪符を得ている感じになっている。歴代長官が、ボーナス分の金額を寄付したという話だが、それで禊(みそぎ)が済んだと思っている。お金を盗んだ泥棒が、お金の一部を返せば良いだろう、と言っているのと同じである。

民間には厳しいのに、お上だからといって甘い処分で済む。データが消えたことや仕事の態度などばかりが話題になっているが、本来問題にするべきなのは、こういう事を放置していられる精神状態や体制そのものだと思う。

——年金制度の仕組みがいい加減だというのを、政治家も役人も知っていながら放置していたという話もあります。

【飛岡】官僚機構というのは、先輩がつくったシステムを批判することは滅多にしないという暗黙の了解がある。悪いシステムが一度作られてしまえば、それが長期にわたって保存されてしまう。極端な話、自分の任期が過ぎてしまえば、見逃してもいい。そのような環境の中で、「悪を悪として対応するという気概や挑戦する心」が、役人に欠けてしまっている。

だが一番の原因は、官僚にも政治家にも、志がなくなったことだ。

終戦直後であれば「戦後の日本を創って行こう」という大きな志があったので、全員一致して頑張ってきた。だが現代では、一部の官僚を除いてそうした情熱もなく、ただ惰性に流されている。その結果として既得権益ばかりになっていく。

——官僚機構の改革が必要ということでしょうか?

【飛岡】今回の問題は社保庁だけではなく、まさに官僚システム全体の問題だ。

会社の寿命は30年といわれているが、官庁も既に老朽化して、寿命が来ている。

そもそも組織というのは、ある程度出来上がると守りの体制に入るから、一定年数が経つと硬直化するものだ。日本も明治維新以来、官僚システムが基本的な構造を変えず、非常に長い期間続いてきた。戦後から数えても60年以上になる。

官僚システムというのは、かっちりとしたシステムに出来上がっているのだが、出来たもの自体が時代に不適応になっている。官僚システム全体が成長期を終えて、衰退期に入っている中では、悪い事をする人間や、それを放置する人間も出てくるだろう。

今後、本当に改革をやるとしたら、夢や希望、使命感などの精神的土台をまず作り出さなくては、これからの国家というのは難しいだろう。

——官僚は自分でリスクをとらないというところで、問題を先送りしているようです。

【飛岡】その通りのことが多い。しかしここで考えなくてはならないのは、官僚の責任もあるが、結局は国民の側にも責任はあるということだ。

何故なら、国民の側には学者もいれば知識人、マスメディアもいる。

本来ならば学者は「このままいけばシステムや世界が壊れる」という警告を出す責務を背負っている。研究すると同時に、成果を社会に応用するといったことをやらねばならないが、それを今日の学者が提言していない。

マスメディアだって、もっと前から問題を発掘して、鋭く提起すべきなのだ。ところがいまのマスメディアの体質は、ジャーナリズムではなく、センセーショナリズムになっている。何か具体的な問題が勃発してからではないと報道しない。

それと同時に、一般の人も、いまの世の中で若者がどんどん少なくなっていくことは分かっている。若者が減ればどうなるかも見えている。それなのに、政治や行政に対して「もう少し、自分達の将来がこのままいけばどうなるか考えてくださいよ」という要求すらぶつけていない。投票率の低さがそれを物語っている。


年金資金をどうするか

——厚生年金は給料天引きですが、国民年金では未納の問題があります。小規模事業の事業主がわざと払っていないということもあるようです。この問題はどうやって解決すればよいでしょうか?

【飛岡】わざと払わないというより、払えないのが実情だろう。

日本は産業が二重構造になっている。大企業で働く人もいる中で、8割が中小零細企業で働いている。中小零細企業は今日では、ほとんどと言っていい程、食うや食わずのぎりぎりでやっている。しっかりとした会社であれば(多くの中小企業がそうであるが)、天引きで厚生年金保険料を取られることになるが、中小零細企業の中にはほとんど生活できないような賃金で働いている人もいる。

大企業というのは、先輩がすでに「稼ぐ仕組み」を作り上げているから、極端なことを言えば、そこから自動的に金が作れる仕組みになっている。中小零細企業は自分達で働いたものがすべてだから、その中で年金保険料を払えないということが出てくるのは時としてあるのが実情なのだ。

——厚生年金保険料で、国民年金の不足分を補填していることが、不公平感につながっているという意見もあります。
年金資金をどうするか
【図1】大企業は中小零細企業の支えがあって、高い利益率の商品を生み出している。そう考えると、厚生年金資金が国民年金を穴埋めしているのは、大企業の得た利益を中小零細企業に再分配しているという面もある。


【飛岡】たとえば、話題になった「ふるさと納税」を考えてみるといい。
昔から日本では、地方で育てた優秀な人を中央に送り出していた。優秀な人は地方で育てたにも関わらず、みんな中央で働いてしまうから、税金はすべて中央に落ちる。地方から見れば、「あの人材は地方で育てたのだから、その分を勘案して地方に回してくれてもいいじゃないか」という発想だ。

それと同じように、「中小零細企業が大企業を支えているのだから、年金保険料の支払いといった面で還元してもいいじゃないか。国民年金と厚生年金が一体化したって仕様がないじゃないか」という考え方もできる(図1)。だから年金の一元化という話が出てくる。

厚生年金を支払っている側から見れば「こっちはきちんと払っているのに、それはないじゃないか」という論理は成り立つだろうが。

——団塊の世代の退職を迎えて、年金資金をどうするかが大きな問題となっています。

【飛岡】年金問題であれ何であれ、重要なのは「木ばかりを見る」のではなく「森を見て議論する」ということだ。

年金の給付金が足りなくなるといっているが、日本のGDPが下がらなければ本質的には“蛇口のひねり方”で解決できる問題だ。

現在の年金制度は、過去の世代がその次の世代によって年金を支払ってもらう構造になっている。これまでは若者が多く、年寄りが少なかった。若い人が増えて資金があるのだから、できる限り面倒を見ようということで給付を厚くした。

ところが現代はもはや高齢社会で、若者が少なく年寄りが多くなった。受け取る人間が増えて払う人間が少なくなり、資金が足りなくなっていく(図2)。

年金資金をどうするか2
【図2】若者から年金を集め、高齢者に給付するという仕組みのままだと、高齢者が増え若者が減れば、若者の負担が増えて給付は減ることになる。


しかし仮に日本の人口が増えようが減ろうが、日本が労働生産性を高めGDPを増やしていけば、その中のどこから年金の資金を捻出するかを考えればいい。例えば、もし技術が進んで産業がロボット化していくのであれば、ロボットに年金保険料を支払わせるという考え方もできる。

だが全体の生産性が低くなって、GDPが下がったらどうなるか。たとえ若者が増えたところで、収入が少なくて年金保険料を支払えない人ばかり、という状況も考えられる。
年金資金をどうするか3
【図3】大きな視点で考えると、全体の生産性が高くなれば、あとは「どこからいくら」年金資金を捻出し、「どの程度まで」年金を給付するかという問題になってくる。この場合、全体の生産性をどうやって高めるかが、一番の問題点になる。


日本全体のGDPが、人口減少の中で上がるか下がるかというのが、実は年金問題で一番大きな問題点だ。

それをクリアすれば、あとは資金源をどこにするかという問題だけだから、本質的には解決できる。こういう大前提の議論をまずしっかりやらないといけない(図3)。


国家の意思が大事

——すべての年金を一元化するというアイデアについてはいかがでしょうか。

【飛岡】「国家の意思」として、どの方向を目指すかが重要だ。

たとえば、ひとつは「しっかりがんばって働いて、個人で蓄え、いい余生を送る。一生懸命働かなかった人の中に落ちこぼれがいても仕様がない」という考えがある。

いい人生を送りたければ、頑張って勉強して、東大に入り、キャリア官僚になるなり優良企業に入社するなりすればいい。自分で起業してもいいだろう。つまり、すべては自分の人生設計次第、努力次第だという考え方である。まさに自由競争社会だ。

もうひとつは、「憲法で“健康で文化的な最低限度の生活を保障”されているのだから、ある程度平等になる方を重視する」という考え方だ。

厚生年金はその中間であり、年金受給額がある一定額を超えると、超過した分は減額されるようになっている。ある程度は、社会的に平均化しようという思想でできている。

では、「生活の保障や平等」と、「努力した人が報われる」ことのどちらを重視するのか。これが、国家の意思ということになる。

いまの国の姿勢を見ていると、国家の意思としてどちらに向かいたいのか、はっきりと見えてこない。


「理念をもった国家の意思」が大切だ

——年金問題を考える上で、これまではそうした議論は余りされていませんでした。

【飛岡】年金に対する新しい基本的な考え方が、まだできていないということだろう。

いまの年金制度は、人口構成比が根本的に変われば成り立たないシステムだ。

いままでのやり方ではダメなのだから新しく、「これからどうするか」と考える国家の意思が重要になってくる。

年金資金がなくなりつつあることで、初めて国家の意思を考える姿勢が見えてきた。しかし、実際にはずっと前から予測できていたことなのだから、怠慢といえる。
「理念をもった国家の意思」が大切だ

【図4】

——自分の老後は自分で面倒を見ればいいという考えもあります。それを敢えて国がする必要があるのでしょうか。

【飛岡】どれだけ個人の意思を尊重するかによる。日本は何でもお上頼りできたのだから、そういう民族に突然「全部個人でやりなさい」といっても厳しいだろう。

中国やヨーロッパは家族単位で共同体をつくってきたが、日本のような農耕民族は、村全体で運命共同体を、ひとつのコミュニティとしてつくってきた。いまはそういったコミュニティは崩壊したし、再生もされていない。

たとえばドイツでは教会税というものがある。この教会税を財源にして、教会の中で貧しい人を寝かせたり、食事を与えたりするという社会保障的なサービスがある。

だが日本では、コミュニティがひどく壊れている。個人でも働けない、国も援助しないとなると、飢え死にするしかない。それを国家の意思として、「仕様がない」と考えるかどうかだ。

極論をいえば、最終的に貧しい人が出てこないように、そもそも労働システムをどうするかなどを考えないといけないだろう。しかし時代潮流は逆に動いていて、国の中で貧富の差を無くす努力は、グローバル化の中での二極化の前に、強いエネルギーを持てなくなって来ている。それゆえに、これから格差社会は拡大せざるを得ないだろう。

大切なことは、「大きく見る」ということだ。全体図をしっかり見て、その上で考えていかないと、ただの技術論になってしまう。

そのためには、やはり理念が必要だ。国家の意思としてどうするかがしっかり定まっていないといけない。これは政治家がしっかりと決めないといけない。いまの政治家は国民の声の代弁ではなく、官僚の声の代弁になってしまっている。

飛岡健(とびおか・けん)

「現代人間科学研究所」所長。金沢工業大学客員教授。
1973年、東京大学工学系大学院博士課程終了。航空工学を専攻し、東大のロケット人工衛星打ち上げ、研究に従事。その後、哲学、社会学、経済学、生物学等を学び、学際分野の研究を進める。1980年、現代人間科学研究所を設立、政府や地方自治体、民間企業からの委託研究を挙げている。サンリオ、CSK、キリンビール、味の素をはじめ、企業の顧問を歴任。学際的な視点からの未来研究を行う未来予測研究会を開催し、約500社を集め好評を博している。著書は「日本は10年後こう変わる」「未来の釣り方」「ものの見方 考え方 表し方」など130冊以上。