喜多村悦史氏インタビュー | 再生日本21


喜多村悦史氏インタビュー

東京福祉大学大学院教授 喜多村悦史氏インタビュー

「年金保険料は上げる必要ない!
——年金・医療・介護など含めた『社会保障一元化』を」

喜多村悦史氏現在の複雑な年金制度はなぜできたのか。また、どう解決すればよいのか。厚生省(現:厚生労働省)で実際に社会保障制度の改正などに携わってきた東京福祉大学大学院教授の喜多村悦史氏に話を聞いた。年金だけでなく医療や介護、雇用保険なども含めた一元化案「国民保険構想」を提唱している喜多村氏は、現在にいたる年金制度の変遷を説明した上で、「時代状況の変化に合わせて制度も変えていくべ きだ」と指摘する。

年金制度は戦争の産物

——現在の年金制度は非常に複雑で、さまざまな面で矛盾があったり、非効率な面があるように感じます。このような複雑な制度になった背景を教えてください。

【喜多村】まず、医療保険と年金を分けずに、「社会保険」として同じ枠で考えていきたい。

現在の年金制度の原型ができたのは太平洋戦争中だ。もともと明治時代から、国に功績があった軍人や官吏に対して老後資金などを支給する恩給制度があった。特に軍人には「安心して戦争にいって来い」ということで制度が充実していた。また、軍事施設や軍の工場ではすでに、共済保険・共済年金があった。

太平洋戦争中に、民間の工場が軍事物資をつくっているのに民間の労働者に保険や年金がないのはおかしい、ということで厚生年金ができた。

医療保険の仕組みは大正時代にはすでにできていたが、当時は医療保険は働いている本人だけのものだった。

男はみんな兵に動員されて戦地に行くので、工場は女性でカバーしなくてはならない。そこで働く女性に対しても怪我や病気に対する保障が必要だとなって、医療保険にも家族給付ができた。しかし女性は臨時の労働者という意識があったから、被保険者ではなく、“扶養者”とした。それが今でも尾を引いている。

ところで年金の成立は、船員保険の方が早かった。軍事物資を民間の船でも運んでいたから、他国から攻撃を受けた場合の手当てが必要だということで、いち早く船員保険ができた。そのため船員保険は今でも、労災や疾病、失業手当などを含む総合的な社会保険として存続している。

年金制度は戦争の産物
【図1】年金や医療などの社会保険は、軍人恩給から始まった。太平洋戦争時に、戦争を遂行するため、戦争に関わる民間人にも軍と同程度の社会保障を手当てする目的で広がっていった。


国民健康保険の成立も戦争が影響している。当時の日本では8割が農民だったが、恐慌の影響で農村も疲弊して体格も落ち、結核や栄養失調も多かった。徴兵して検査すると兵隊に合格できない者が多数いた。そこで農村でも医療を受けられるようにしようと、国民健康保険法が昭和13年に成立し、戦前に相当普及している。いまの国民健康保険は、残りものを集めた虫食いのようだが、当時は農村ごとの地域保険だった。

都市は大体労働者だから健康保険、そして資本家階級は自分達でどうにかするだろうといってとり残された。農村はみんな国民健康保険というように、地域ごとにきれいに棲み分けができていた。

日本の社会保険というのは、ほとんどが戦争遂行のためにできたものだ。当時の社会保険の思想は確かにけしからんが、しかし、戦争がなければ社会保険は成立しなかったのも事実だろう。


基礎年金は国民年金救済策

——元々は職業別に分かれていた国民年金や厚生年金、船員保険などを統一して、基礎年金を導入した背景には、国民年金の加入者が減り、立ち行かなくなったからだと言われています。

【喜多村】その通り、国民年金救済策だった。元々年金は労働者を対象にしていて、しかも職業ごとに細かく分かれていた。農民や自営業者は、最後まで年金対象者から外れていた。そこで、残っている職業の人をすべてカバーしようと国民年金が作られた。

かつては、日本の人口の8割ほどを農民が占めていた。だが、戦後、産業構造が変化して、若い人ほどサラリーマンが増えて農民が減る。厚生年金の被保険者がどんどん増え、国民年金の方はどんどん減っていった。

年金給付はどんどん増えていくのに保険料は減る一方だったから、国民年金の破綻を防ぐ意味もあって、基礎年金を導入した。ところがこのとき、保険料の集め方を国民年金=定額、厚生年金=料率のまま残してしまった。それで、制度としては同じ基礎年金のはずなのに、国民年金側と厚生年金側で中身がバラバラのまま残ってしまった。


積立方式を賦課方式に切り替えた

——年金には150兆円もの巨額の積立金がありますが、日本の年金制度は賦課方式と説明されています。修正積立方式と言われることもありますが、一体どちらが正しいのでしょうか。

【喜多村】積立方式というのは、自分で自分に給付する分を用意するのだから、いわば貯金のようなもの。

それに対して賦課方式というのは、若者から集めた金を高齢者に配るという仕組みだから、いわば仕送りだ。

いますぐ制度をやめたとして、手元に資金が残るのが積立方式。残らないのが賦課方式ともいえる。

厚生年金のスタート時(昭和17年に労働者年金保険法制定、昭和19年に厚生年金保険法に改正)は確かに積立方式だった。15年以上加入しないと老齢年金を払わないという形だ。ただ当時はまだ始まったばかりだから、老齢年金を受け取る人はいなかった。

ところが戦後、猛烈なインフレが起きた。積立方式の場合は、基本的には自分が支払った分から給付が出るわけだから、物価が上っても追加の給付はない。インフレになると積立金も実質目減りし、給付の額面が同じでも、いくらにもならない。
積立方式はインフレに弱い
【図2】積立方式の場合、急激なインフレが進むと、積立金が実質的に目減りすることになる。


そこで昭和29年に制度改正を行い、給付の大改造をした。

もし積立方式を維持しようとしたら、インフレにあわせて保険料をどんどん上げないといけない。しかし、みんな貧乏でお金はない。

だからこの時から積立方式を放棄し、賦課方式に切り替えた。

戦前の保険料率は11%ほどだったが、それを一気に4分の1の3%に下げた。一方で給付額は上げた。この3%という数字には、実は何の根拠もない。当時は老人が少なく給付が当面でていかないから、いくらでも良かったわけだ。今だったらこんな無茶できないだろうが。

大勢の若者から集めた保険料を、少ない高齢者に分配するのだから、保険料は少なくても給付は多くできる。これが賦課方式のメリットだが、賦課方式を維持しても保険料3%では当然、足りない。だからそのときは、保険料は適正な水準になるまで次第に上げていきますという説明をした。
保険料給付と負担のイメージ
【図3】年金給付額の伸びよりも前倒しで、年金保険料を上げてきた。その差額分が積立金として残っている。将来的には、負担と給付のバランスがとれる水準で保険料を固定化する


いま残っている積立金は、当時の老齢年金給付分の増加よりも、段階的に引き上げた保険料徴収分の増加の方が前倒しになっているからだ。つまり、年金を先取りした形になっている。当時は平均寿命もいまほどではなく、そもそも給付対象となる高齢者よりも、保険料を支払う若者の方が多かったから、単年度は黒字になっていく。いま積立金が残っているのは、そのときの名残だ。

いまの日本の年金制度を修正積立方式という言い方もあるが、この言葉にはあまり意味がないと思う。


財政投融資は発展途上国のシステム

——現在、150兆円ほどの積立金が残っていますが、これを2100年までに取り崩すとしています。

【喜多村】取り崩すにしても、今の積立額はせいぜい3〜4年分の給付額程度。すると3年分を100年で割るのだから、毎年100分の3程度しか財源に貢献していないことになる。そのような単位で見ると積立金の額というのは、全体からみればほんの一部。もちろん、ないよりもあった方がいいが。

賦課方式でも積立方式でも、支払いと給付のバランスがとれないといけないから、最終的に行き着く保険料や給付額は同じ。積立金が運用で理想的なほど利益を生むわけではないのだから。

——財政投融資は郵便貯金や年金積立金を原資にしています。この資金を公共投資に回し、赤字国債を増やした結果が、800兆円以上といわれる国の財政赤字につながったという批判もあります。

【喜多村】その通りだと思う。

財政投融資のやり方は、発展途上国で有効なシステムだ。

民間に資金がないから、国家が国中の金をかき集めて投資をして、それで経済を大きくしてみんなに還元する、という仕組みだ。ところが、いまの日本では、経済を大きくする段階などとっくに終わっている。昔は確かに、製鉄所を作ったり、鉄道を作ったりという目的があり、それが何十倍という経済効果を生んで、しかも利子つきで戻ってきていた。ところがいまは社会インフラの整備も済み、民間も十分な資金をもっている。もう使い道がないのに、いまだに発展途上国のシステムを続けている。
財政投融資の仕組み
【図4】財政投融資はインフラ整備が進んでおらず、経済規模が小さい国などで有効なシステム。ただ経済規模が十分発達し、民間投資も活発な場合、民間と競合したり、期待ほどの経済効果が上げられず、ムダが多くなってしまう。


だから本当は、財政投融資が役割を終えた時点で、郵便貯金をやめるべきだったのだろう。郵貯で金が集まるから使わなくてはいけなくなる。

そのもうひとつが年金だ。年金は賦課方式といっても単年度は黒字だから、資金は集まってきてしまう。これをどうするべきだったか。完全賦課方式でやれば、積立金を運用して増やす必要はない。給付額が目減りしないように、物価上昇分だけ増える程度の投資であればいい。


年金保険料は下げられる

——国民年金の納付率低下が大きな問題として挙げられます。問題の背景には、若い人は自分が支払った分よりも少ない額しか貰えないが、いま給付を受けている人は支払った分よりも多く貰っている、という不公平感があるように感じます。

【喜多村】賦課方式で保険料の段階引き上げをすれば、最初の方が支払額が少ないのだから、最初の世代は必ず得になる。これは仕方がない。

しかし、前の世代と次の世代で年金給付額の水準が違うのは、おかしいと私は思う。どちらかというと若い世代のほうが保険料を多く払っているのだから。

年金は支払いがかさんで財政破綻が近くなって、そのしわ寄せで減額すると思われているようだが、それもおかしい。そういう設計を許すから悪い。

今の年金が高いと思うのなら、「政策が間違っていました」といって、給付を下げればいい。

——年金支給額を減額するのは財産権の侵害になるという意見もありますが、可能でしょうか。

【喜多村】実際に国鉄共済を救済したときには減額した。国鉄の年金は高過ぎたので、これを厚生年金並みにあわせて下げた。当時は物価上昇があったから、本来なら物価上昇に合わせて年金支給額も上げていた。しかし国鉄の年金は、物価の上昇に合わせた支給額上昇をストップし、あるべき水準になるまで据え置いた。これは観念的には財産権の侵害になるが、それが通った。

それから厚生年金の場合は、新規採用者ほど保険料率を下げる形にした。その代わり加入年数を増やした。そうすれば全体の額は変わらない。

だから若い人は、保険料率を上げるということに安易に賛同してはいけない。

——保険料率はずっと上がり続けるものだと思い込んでいました。

【喜多村】例えば、支給開始年齢は最初55歳だったが、段階的に上げている。半世紀前の65歳というのはもう立派な老人。だから当時の常識で言えば、65歳くらいに年金を支給するのは当たり前だった。いま支給を受けている65歳くらいのひとたちは、大半はぴんぴんしているのではないか。とすれば、支給開始年齢を上げる余裕はあると思う。
年金保険料は下げられる1
【図5】平均寿命が延びた分、元気で働ける年齢も上っている。それにあわせて年金支給開始年齢を遅らせれば、保険料率は下げることができる。


——サラリーマンにはどうしても定年退職がありますが、60歳から65歳くらいまで延長しようという動きがようやく出来つつあります。

【喜多村】労働者に「引退」があるのは間違いない。だが、「引退」と「定年」はイコールではない。定年というのは終身雇用で一社しか勤めないということだが、いまは終身雇用は崩れている。

働く側の都合から考えれば、子供と家のローンを抱えているときが一番、稼ぎが欲しいところだろう。65歳になれば子供も独立し、家のローンも大体終わっている。すると、残業してまで働く必要はないし、そもそも毎日働くという必要もないだろう。自分の衣食住くらいは稼ぎ、それで年金をもらえるのであれば、その分はボーナスと思って旅行にでも行けばいい。

ある年齢になったら引退せざるを得ないから、どうしてもそのうち収入はなくなる。だけど、週二日労働と年金支給と両方あれば、それなりの生活が出来る。週二日の労働もいよいよなくなったとき初めて、個人年金(各自が民間保険会社と契約する年金)や預貯金の取り崩しが出てくる。65歳から取り崩していたらとてももたないが、75歳からであれば何とか保つだろうと考えればいい。

こうして社会が元気になれば、支給年齢が少しずつ後ろにずれてくる。年金を貰いながら働いている人がいっぱいいるのが、普通の社会だ。「年金で食う」と考えている人も多いが、本当は年金は「下駄」だ。

終身雇用は崩れているのだから、40歳で定年の会社もあっていいし、40歳から入社できる会社もあっていいと思う。そうすれば、高齢者雇用が若者の雇用機会を奪うこともないだろう。
年金保険料は下げられる2
【図6】定年と引退を別として考えたライフスタイル。定年後もフルタイムで働くのではなく、パートタイムで年金と合わせて生活できる程度働く。


究極の一元化「国民保険構想」

——年金制度は現在の形だけを見ると、ばらばらだったり、複雑だったりして、なぜもっとすっきり整理していないのかという批判も出ますが、こうした成り立ちの経緯を見てみると、よく分かります。

【喜多村】当時は、いまのように、どこもかしこも労働者という状態ではなかった。現在では社長も労働者も大して変わりないし、専業の農民もほとんどいない。ある意味均質社会になったのだから、保険制度も一本化するのが当たり前ではないかと私は考えている。時代に合わせて制度を変えていけばいい。

そこで私は、今こそ制度を整理して、社会保険すべての一元化を提唱している。それが「国民保険構想」だ。

社会保険庁は記録漏れなどは確かに組織として問題あるが、それよりもなぜ、まだ年金がひとつに統合されていないのかを指摘したい。実は昭和59年2月に「年金を10年後にすべて一元化する」と閣議決定している。しかし、20年経っても一元化が進んでいない。それを今頃、思いついたように、共済年金と厚生年金を統合するなどと言っている。

——「国民保険構想」とはどのようなものでしょうか。

【喜多村】厚生年金と国民年金で、払っていない人がいたり不明瞭なところがある。それくらいなら最初から一本にしたほうがいい。そのかわり加入者間では公明正大にする。誰かのお金が別のひとのサイフに入らないように、最初から明瞭なルールをつくっておく。そのルールを論じるべきだと思う。

そこで、「国民保険構想」を提案している。これは医療・介護・雇用・労災・年金などすべての社会保険を一元化するという、究極の一元化構想だ。

社会保険というのは、国民全員に関わることだから、誰が見てもわかりやすいことが大事だ。そこで骨格を五項目に絞った。

「国民保険構想」の骨格
  1. 生まれてから死ぬまで、同じ保険の加入者になり、加入先の変更や加入の手続きをいちいちしなくていいこと。
  2. だれにも簡単に計算できる共通の方法で保険料が計算され、それは無理なく払える範囲内のものであること。
  3. 給付は多くの人に生じる経済的必要性に呼応するものであり、受給者間に不公平の思いを生じさせないものであること。
  4. 保険料を納付すれば給付が行われ、故(ゆえ)なく滞納すれば、以後の保険給付はきびしい制限を受けること。
  5. 社会保険制度がうまく機能するよう、政府が所要の支援措置を講ずること。



ポイント

  • 世帯ごとではなく、一人ひとりが個別に加入する(被保険者、扶養者等の区別がない)。
  • 転職や結婚などでの変更による保険の移動がない(年金記録漏れの一因となった複雑な仕組みを解消できる)。
  • 職業などによる保険料の違いがないので、複雑な計算が不要。また職種による不公平感も解消できる。
  • 滞納には罰則をつけることで、負担と給付の関係が強くなる。
  • 仕組みが簡単になることで、事務処理のミスや仕事量を大幅に削減できる。



いまは社会保険庁だけで2万人超の職員がいる。それに雇用保険の職員、労災、健保組合、年金基金、共済組合、市町村には国保、介護保険など、ごろごろ人がいる割に、効率が悪い。

年金だけでなく社会保険をすべて一元化という案で計算すると、良く働く職員が3000人いれば十分だ。

国民保険構想では、国民全員に18歳の高校卒業時から加入してもらう。高校などに協力してもらえば、加入書類などの整備はそこで終わり。

あとは就職しようが大学へ行こうが、保険料さえ支払ってもらえばいい。現在の年金制度のように、職業によっての加入・脱退はないわけだから、事務処理も大幅に簡単になる。

国民全員に1つずつ国民保険用の銀行口座を作ってもらい、お金のやり取りは、すべてそこで行う。保険料はそこから引き落とし、給付はすべてそこに振り込まれる。保険料があまってもそこに振り込まれる。払わない人には滞納処分を行う。徴収は現行法でも市町村に委託できる。さらに年金事務費も含めて保険料から出すという計算だから、職員の事務費を一般会計でみても0円。それも3000人で済むから、財政にも貢献できる。

——この一元化構想はとても興味深いですね。実現させるためにはどのようなアプローチが必要でしょうか。

【喜多村】まずは現行制度をみてほしい。年金制度改革は難しいという人がいるが、わざと難しく言って国民に隠している。

実際に国会議員の人などに提案するとみんな「それはいい案だ」と言う。だけど、それっきりだ。

だから、みんなが加入者なのだから、みんなで決めればいいと思う。それを審議会などでやるから話がおかしくなる。私としては、この「国民保険構想」について、ぜひみなさんに問いかけたいし、反論もしていただきたいと思う。

喜多村悦史(きたむら・えつし)

東京福祉大学大学院教授。総合社会政策研究所代表取締役。
1951年広島県福山市生まれ。京都大学法学部卒業後、厚生省に入省。保険、年金等主要社会保障制度の制度改正に参画。1985年の基礎年金導入に際しては初期構想段階から中心メンバーとして活躍。その後、経済企画庁計画官、内閣府総括政策研究官として、社会保障の横断的研究を行い、社会保障のあるべき姿として「国民保険構想」に辿り着く。
主な著書に、「国民保険を創設せよ」(時評社)、「国民保険構想の骨格13章」(日本厚生協会)、「社会保険再生への道」(論創社)、「百年単位で考える社会保険」(社会保険研究所)、「老後革命」(アース工房)ほか多数。

総合社会政策研究所
http://www.sogoshakaiseisaku.com/index.html

喜多村悦史先生ブログ:怒苦打身日記(ドクダミ日記)
http://blogs.yahoo.co.jp/sogoshakaiseisaku