石巻市被災地区でのボランティア活動 | 再生日本21


石巻市被災地区でのボランティア活動

以下の活動報告は、Wmodeの日記に書いたものをそれに付けられたコメントとともに掲載しております。

まだ何も解決していない。被災地

石巻での志塾生

石巻での志塾生

 

志塾、塾頭の五ヱ門(日髙)です。
志塾で呼び掛けた東北支援ボランティアに同志5名で行ってまいりました。20日(金)一日の行動でしたが、石巻の漁港近くの、いまだ満潮時には冠水する幸町というエリアでの民家のがれきの撤去と泥掻きが作業内容でした。
77歳になる所有者のSさんが、いっしょに作業に加わり、計11名が山のような「がれき」を片付けました。
がれきは触ってみて初めて、その厄介さが理解できる。撤去とは名ばかりで、作業の本質は「種分け」であった。
木材の下にトタンが、その下に食器が、その下にコンクリートが、その下にアルバムが、その下にまた柱が・・・・といった状態がガレキ。
これを木材・金属・コンクリートなど・その他と泥・・・に種分けし、トラックに積み込む。この種分けをなぜしなければならないのか。要するに引き取ってくれないからです。そうしないと処理できない。重機でガンガンやることもできない。津波によるシェイク。生活を破壊し、飽き足らずゴチャ混ぜに。
がれきの大物は積み上げ、小物は土嚢袋に詰め込む。4tトラックで5台分ほどにはなったかと思う。泥も予想以上の量で、1坪ほどの風呂場にたまった泥だけで、20袋に達した。外の分も合わせると50袋か。

われわれは、「東北支援隊」という常駐のボランティアの指揮下で作業した。長いメンバーは1カ月ほど現地に滞在する。すごいもんだ。この、いつ終わるか予想もつかない作業を、黙々と続ける北海道から沖縄まで全国から集まってきている若者たちに拍手を送りたい。

もうひとつ。この作業は、基本農作業と似ている。地面のものを拾う。延々とこの拾う作業を続けていくのだ。真剣に、農家の方の支援を想像してしまった。

ガレキの種分け、どれくらい進んでいるのか数字がないのだが、まだ1割程度しか進んでいないように思えた。現地は本当にボランティアの手が足りません。足らないというより、焼け石に水くらいのものです。しかし、それでもやらねばならない。継続支援も検討します。

まだスタートラインに着いたくらいの状態。それが被災地です。

今回のボランティア報告は、各人からもWmodeにアップされる予定です。どうぞ読んでください。

(日髙三仁)
 

1:そらお(副塾頭・小山)
五ヱ門さん、今晩は。
被災地へのボランティアお疲れ様でした。
すさまじい現地の様子を知らせてくださりありがとうございます。
まさにがれきとの戦いですね。埃と泥にまみれて、厳しい作業だったことを想像します。
被災された人の生活を再建するのは、まだまだ遠いということが分かりました。
私も何かできることで貢献したいと思いました。

2:五ヱ門
そらおさん、ありがとうございます。
ほんと、やってみないと分からない。しかし、作業後仙台で慰労会をやったのですが、「こんな楽しいボランティアは初めてだ」との感想も女性の参加者から頂きました。
これだけ言うと誤解を招くのですが、要するに目の前の悲惨さや困難を超えるだけのものを得てきたということでしょう。
だから、現地の若者たちも続けられる。それが楽しいのです。

3: 管理人@saisei(稻田)
五ヱ門さん、今回はGW後のボランティアという
タイムリーなご案内をいただき、
本当にありがとうございました。
行くたびに色々なことを感じ、考えさせられますね。
また、継続してやっていきましょう。

4: 横井
五ヱ門さん、この度は、御一緒させていただきまして
どうもありがとうございました。
とても貴重な体験で、いろいろと考えさせられる事が多かったです。
微力ながらも貢献出来ればと思いますので、
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。


石巻ボランティア活動レポート

風呂の土砂をかき出す横井さん

風呂の土砂をかき出す横井さん

再生日本の稻田さん、塾頭日髙さん、副塾頭谷田さん、飯島さんの5人で5/19から21にかけて、石巻ボランティア活動へ行って来ました。
移動日も含めてなので、実質20日の一日でありましたが、欠して報道では聞こえてこない生の声を聞くことが出来た貴重な体験でした。
当日朝6時に仙台を出発して、石巻市災害ボランティアセンターがある石巻専修大学、避難所の渡波小学校へ寄り、そこで8人チームを組んで、9時過ぎに被害があった民家へ車で移動しました。

家の前の駐車場があった場所には、沢山の瓦礫の山で、そこは海岸に近いということもあり、作業を始める前にリーダーから津波が来た際の避難経路の確認と、くれぐれも津波に注意する様に、また、もし、御遺体を見つけた場合は知らせる様にと注意事項を言われました。正直、慣れない状況に不安になりましたが、気合いを入れ直して、作業にあたることにしました。

私は、谷田さんと数日前からボランティア活動をされている女性の3人で、家に入らせてもらい、風呂場、脱衣所、台所の泥掻きを担当しました。風呂場は、水を含んだ汚泥とタイルが入り混じっていて、思った以上に大変でしたが、泥を掻きながらやっとの思いで底が見えた時は、テンションが上がり、飛び上がるくらい嬉しかったです。
また、脱衣所、台所は、ガラスの破片が散乱していて、破傷風にならない様に注意しながら作業しました。
そして、想像以上に時間がかかったものの、お父さん(御住人)が、満面の笑顔で、どうもありがとう!!と言われた時は、疲れも吹き飛ぶくらいとても嬉しかったです。
また、途中で、渡波小学校へ戻った際、70代女性の方からお話を伺うことが出来ました。
震災時には、近くの大きな橋が壊れて、この辺は一時期孤立していたそうです。全く食べ物が無い日が続き、あっても、一日二人でイチゴ一粒だったり、二人でお寿司位の大きさのご飯だったり、ポテトチップス3枚を分けて食べたりと大変食べ物に困られたそうです。
今でこそ、炊き出し等で、食べれる様になったものの、食器類は全く無く、カップラーメンの容器や割り箸を何度も何度も洗っては使われてるそうです。水もここ数日前にやっと復旧したくらいですが、とても助かると言われてました。お風呂は自援隊が準備したシャワーに入られてるそうです。
治安は最悪で、強盗、窃盗、恐喝は日常茶飯事で、ついこの前に、この近くで殺人事件もあったそうです。
とても日本とは思えない酷い状況です(涙)。。。
ちょうど、母と変わらない世代の方が、この様な過酷の状況の中で生活していらっしゃるのかと思うと、お話を聞きながら涙が出て仕方がありませんでした。ただ、お別れする時に、「聞いてくれてありがとう」と言っていただけた事が、唯一救われました。
少しずつ改善されてきているものの、まだまだ厳しいです。
現実を目の当たりにして、自分の無力さを実感しました。
一日でも早い復興と、皆さんが安心して昔の様に平穏で生活出来る日が来る様に心から願ってます。

志塾4期生の飯島君

志塾4期生の飯島君

最後に、志塾生でもない私を快く参加させて下さいまして、塾長浅井先生はじめ再生日本稻田さん、日髙さん、谷田さん、飯島さん、他関係の皆様、どうもありがとうごさいました。
この貴重な体験を生かせる様に、微力ながらも自分に出来る事はなにかを考えて行動したいと思います。

(横井恭子)

 

 

 

 

 

1: 管理人@saisei (稻田)
横井さん、こんばんは。
詳細なレポート、ありがとうございます。

私も渡波小学校で避難生活をされているあのおばあちゃんの話は、印象に残りました。
話自体もですが、話が止まらないことに。

お兄さんを亡くされたとのことでしたし、
自宅2階の荷物を別のところに移す作業を
お一人でされているとおっしゃっていました。
お話が止まらないことからも、
お話ができる身内の方がもういらっしゃらないのではないかと
拝察しました。
多少お話を聞いてあげられたことだけでも、
良かったと思いました。

一点、治安に関して補足ですが、
あのおばあちゃんは、
殺人事件の犯人は中国人だったと
おっしゃっていました。
やたらと偏見を持つのはいけませんが、
一方で十分な注意が必要だとも思いました。

継続は力なりです。
行ける時がありましたら、
是非また一緒に行きましょう。

2:横井
管理人様、こんばんは。
早速のコメントどうもありがとうございます♪
もっとお話しを聞いとけば良かったと少し後悔しています。
おばあちゃんが早く仮設住宅に入居して
安心して生活できられるといいですね。

人の弱みに漬け込むのは、外国人だろうがゆるさないですね(怒)

ぜひぜひ行きましょう!!今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

3: 好日
横井様初めまして
びっくりしたのですが、被災地では強盗、恐喝、殺人事件がよくあるのですか?
よく分からないのですが、もともと多いのですか?
それとも被災してから増えたのでしょうか。

活動お疲れさまです。
またご報告をお待ちしております。

4: そらお
おはようございます。横井さん。
ボランティアお疲れ様でした。
治安が悪いと以前から聞いていました。
気になる問題ですね。

避難生活も長くなってくると、特に元気な男たちは、そういう方向にもやもや感を向けてしまうのでしょう。
4月のころに、表にはあまり出ないが、犯罪が頻発していると情報を聞きました。

おまわりさん、消防などの人が、避難者の救助、遺体の捜索、がれきの撤去など割かれて、避難所、被災の住宅街まで、手が回らないことも理由の一つだったと聞いています。

復興はもちろんですが、その前に治安を回復してほしいものです。

5: 横井
好日様 はじめまして。メールどうもありがとうございます♪

被災地の方々のお話しだと、もともとでは無く、
被災されてからの様ですよ。

石巻でも仙台でも同じようなことをおっしゃってました。
それも、ボランティアを装っても多いと言われましたよ。
初めて聞いた時はショックで、もしかして?そのように見られて警戒されているのでは?と複雑な心境になりました。
行ってみて現実に直面しました。

6: 横井
そらお様 はじめまして。メールどうもありがとうございます♪

治安が悪い事、御存知だったのですね。

好日様へも書いた様に、私が被災地の方々から聞いたのは、
ボランティアや管理人様が言われてる様に中国人。

だから、ボランティアをする際は、誠心誠意をもって
いないと思いが伝わらないと思いました。
生半可の気持ではいけないと思いましたよ。

ホントに治安を回復してほしいですね。

7: 筑後の風天マン
ボランテイアに行かれた皆様、本当にご苦労様でした。
そして貴重な現場の報告ありがとうございました。

現状の治安の問題はマシコミは一切報道しませんが、これも一種の報道管制なのでしょうか?

「是是非、真実を報道する」のがマスコミの使命だと思うのですが、「勇」を喪失しているのですかね・・・この辺りにも日本再生の課題がありますね。

8: 横井
筑後の風天マン様

はじめまして。メールどうもありがとうございます。

短期間でしたが、現場に行って足を運んでみて
いろいろと考えさせられました。
そして、まだまだ知らないことがいっぱいあると思います。

9: 横井
読んでいただいた皆様へ
全国から被災地へ来られた多くのボランティアの方々は、志が高く、
何とかしたいと心から復興を願われているすばらしい方々です。

ただ、中には装って悪い事をする心無い人がいるということを言いたかったので、くれぐれもお間違いないようお願いします。
 

動いて、感じて、考えよう(石巻・福島追加報告)

宮城県石巻市でのボランティアに行ってきました。

既に五ヱ門(日髙)さん、横井さんから、
日記で報告が書かれていて、
小生も日記へのコメントの形で多少感じたことを書いていますが、
小生が感じたことを追加で。

壊滅した大曲地区

壊滅した大曲地区

①.1ヶ月半前の4/6に石巻の隣の東松島市に、
今回と同じがれき撤去ボランティアに行きましたが、
その時と状況はほとんど変わっていませんでした。
行く前は
「1ヶ月半も経っているのだから、少しは進んでいるだろう」
と漠然と思っていたのですが、
甘かったです。

 

 

 

 

 

東松島市大曲地区の不通農道

東松島市大曲地区の不通農道

②.石巻から仙台への帰り道、
東松島市の大曲地区、野蒜地区に寄りました。
いずれも津波被害が甚大だった地域です。
これらの地域は、完全に津波にやられていて、
(右写真。よく分からないかと思いますが、文字通り壊滅状態です)
ボランティアの作業の余地はありません。
(4月にボランティアに行ったのは、同じ東松島市でも
がれきを取り除く家がある地域です)
こういった地域では、
おそらく亡くなった方々も多過ぎるため(土地の持ち主もいない)、
数年くらいでは復興の見通しは立たないのではないかと
思わざるを得ませんでした。

③.東松島市の時もそうだったのですが、
若いボランティアの人がたくさんいました。
たまたまかもしれませんが、
2回ともダンプでも運転しそうなブルーカラータイプの女の子がいました。
いずれも休憩時間にはタバコをぷかぷか。
こう言っては何ですが、こぎれいなホワイトカラーじゃない。
しかし、そういう子が被災地ボランティアでがんばってるんですね!

日髙さん、横井さんと別れた後、
二人の志塾生とともに福島県の避難所(河東総合体育館)を
訪ねました。

④.福島県の避難所は、
原発近くにお住まいだった
元の家に帰れる見込みがない人が集まっているせいか、
(また、体育館の場所も辺鄙で周囲に店などもないこともあってか)
空気がどうしようもないくらい沈滞していました。
ここにずっといたら、
精神がおかしくなっちゃうんじゃないかとさえ
思いました。

現地に行って、初めて分かること、感じることが、必ずあります。
また、「定点観測」という言葉があります。
継続して見続けることで、見えてくるものがあります。
これからも継続して現地での活動を行なっていこうと思っておりますので、
まだ行かれていない方も、機会があれば是非ご一緒しましょう。

(稻田雅彦)

1: そらお
こんばんは、管理人さん。
4月に引き続き、お疲れ様でした。
日記を読ませていただくと、現地の暗く、沈滞した、重苦しい雰囲気が伝わりました。
福島の避難所の話は、深刻な様子を感じました。
せめて、気持ちだけでも寄り添ってあげたいと思います。
未来に明るさを感じないそんな雰囲気のようですね。
私たちはそのような方々に、一体何ができるんでしょうか?

2: 管理人@saisei
そらおさん、コメントありがとうございます。

私たちにできることは、
それぞれができることを
できるだけ継続してやっていくことではないかと
思っています。

それは寄付や現地ボランティアに限らず、
被災地産のものを買ったり、
被災地の観光地に出かけたり、
復興のオーナー制度に申し込んだり、
色々あると思います。

できれば、何らかの形で
現地の方と接点のある形がいいのではと
(感じるものが違ってきますので)
思っています。

3: 横井
管理人様

石巻ボランティアでは大変お世話になりました。

貴重な体験をさせていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
どうもありがとうございました!!

私も、何が出来るのか?を考えて
少しでも復興に向けてお役にたてればと思います。

今後とも宜しくお願いいたします。

4: 管理人@saisei
横井さん、コメントありがとうございます。

私も感謝の気持ちでいっぱいです。

先週末は福島県会津地方の過疎地の農業交流に行ってきました。
やはり、風評被害を憂える声が随分聞かれました。
(グリーンツーリズムが6~7割キャンセルされたとか)
小生が東京でのアンテナショップになってほしいと
言われました。

一人ひとりができることはささやかなことですが、
一人ひとりが行動し、情報発信していくことで、
力になって行くと思います。
そういう意味では、
「何が出来るのか?」は、
実にたくさんあるとも思います。

小生は今後も情報発信と行動と思索とを
継続していきます。
これからも一緒にやっていきましょう。

こちらこそ、宜しくお願いいたします。

東北ボランティア参加感想文


私は、5月19日(木)~5月21日(土)に志塾のメンバーで東北ボランティアに行ってきました。3月11日の震災から2ケ月以上経過しているというのに以下のような、がれきの山がいたるところに残っていました。
写真は、仙台市から約50km北上したところにある石巻市(いしのまきし)の状況です。港町のため津波の影響で2階近くまで海水に浸されていたようです。
まさに悲惨な状況で、車がひっくり返ったままボロボロになっていたり、船が乗り上げていたりとまるで映画のセットのようでした。

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東京では、余震がたまに起こる程度で、何不自由なく生活しています。
一方、宮城県をはじめとする東北では震災直後にテレビで放映された光景が今でも残っているのです。ボランティアに出発する前もある程度は覚悟していましたが、まさかこんな状況のままであったとは、想像以上にショックを受けました。
新聞や雑誌で同じような光景を見ていますが、リアルな現実を見て地震の本当のスゴさを痛感しました。

今回のボランティアの仕事は、がれきの撤去と家の中にたまった泥のかき出しでした。
私は家の中の泥のかき出しを担当しましたが、風呂場が泥で埋まっており、足場のタイルが見えるまで2時間近く泥かきをしました。風通しも悪く、光が入らない中での作業のため何度か休憩をとりながら行いました。防塵マスクをしてゴム手袋をはめての作業のため、蒸れてきて息苦しさも感じましたが、ボランティアリーダーの人が雰囲気を和ませてくれたり休憩指示をしてくれたり、作業終了時には達成感と爽快感がありました。
リーダーの人は、20代と若く、自分たちの経験から常に「けがをしないように。ゆっくりやってください。」と気を配りながら、的確に指示を出していました。やはりどんな時でもリーダーで引っ張ってくれる人は必要であり、自分もいろんな意味でリーダーの役割を果たしていかなければと感じました。
作業は14時過ぎに終わり、がれきをトラックに積み込み、集合場所の小学校にもどって解散しました。

その小学校は、避難所にもなっていて仮設トイレや食糧の配給場所もありました。避難所に住んでいる人たちは、我々ボランティアの人に感謝してくれて、いろんなことを話してくれました。食糧の配給が2人でバナナ1本であったこと、ポテトチップス3枚しかもらえなかったことやシャワーやお風呂も毎日はいれないことなど延々と語ってくれました。本当にたくさんの苦労話があり、今まで心の中にたまっていたものをはきだすかのようにしゃべってくれました。ある人は、しゃべってスッキリしたのか「心のカウンセリングセをしてくれてありがとう。」と言ってくれました。話を聞いてあげるだけでも、ボランティアになるのだと思いました。私達を安心して受け入れてくれて、たくさんの話を聞かせてくれたことに対して、私も感謝しています。自分が同じ立場であったらここまで心を開いて他人を受け入れる余裕をもつことができるかと自問させられました。

石巻市から仙台に帰る途中で、死者が多くでている大曲というところを車で通りました。写真の通り、農作業地の中にも津波が押し寄せてきたあとが残っていました。船が転がっていたり、道が陥没していたり、車から降りてみると貝殻が落ちていたり、海水が蒸発して塩の白いあとがところどころにありました。復興するまでかなり時間がかかるだろうと感じました。自然の驚異は恐ろしいと痛感しました。

翌日は、福島原発の避難所である会津若松市の河東総合体育館に行きました。持参した支援物資の紙おむつは本部了解にもと預かってもらえましたが、融通が利かないお役所という印象でした。物資はそろっているようでしたが、体育館のため風呂や調理場がなく、仮設風呂や食事も弁当やパンだけでした。体育館で寝泊まりしているため、腰の高さぐらいの仕切りでたたみ四畳分ぐらいのスペースしかなく、プライバシーはない様子でした。
館内には、地元FM局であろう無味乾燥した放送や音楽が流れており、どんよりとした空気が流れているのを感じました。郊外の体育館のため近くに気分転換する店や娯楽施設もなく、私にはここで何日も過ごすのは耐えられないと思いました。
原発から30km圏内というだけで、圏外の避難所生活を強いられている人たちも納得していないと思います。また東京でプライバシーもあり、家族と一緒に暮らしている自分がいかに幸せであるか再認識させられました。

最後になりましたが、今回ボランティアに参加できたのは、自分に何かできることはないかという気持ちと志塾で学んだ現地現物主義を実践したいという思いと塾頭をはじめとしたボランティア団体の企画があって実現しました。本当にすばらしい機会を与えてもらいありがとうございます。一緒に行動する仲間がいるということがどれだけ心強いことであるかということもわかりました。
被災地の1日も早い復興のため、自分にできることをしっかりやっていきます。
(谷田 泰敏)